ハムだぁ!
自己紹介
肺腺がん ステージⅣ
(HER2 遺伝子変異)
肺がんHER2「HER HER」代表発起人
国立がん研究センターがん対策情報センター
平成30・31年度 患者・市民パネルメンバーです
皆様宜しくお願いします。
応援している会員は83人です
応援している会員
年齢
43
性別
男性
住まい
滋賀県
病種(大区分)
胸部
病種(小区分)
肺がん
病種(備考)
肺腺がん
ステージ
ステージ4
告知年月日
2017年02月01日
通院・入院先の病院
国立がん研究センター中央病院;京都大学医学部付属病院,近畿大学病院
現在の状況
通院治療中
治療歴
手術
抗がん剤
その他
職業
その他
配偶者
有り
こども
男性 / 11歳
男性 / 9歳
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投稿
今日の気分
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がんである ということ【続編】「お父さんはがんである」
前の記事で がんである ということ のタイトルで投稿をしましたが その続編として書こうと思います。 テーマは 「お父さんはがんである」 私は(我が家族)は “がんゲノム医療”のことで メディアで放送されました (有り難い言葉やメッセージ 貴重な意見 皆様ありがとうございます!) そして、録画したその放送内容を 子どもたち(3歳と6歳の息子)と妻と 4人で家族一緒に視ました ということは 子どもたちにとっては 「お父さんががんである」ということが 改めて浮き彫りになりながら いつも シンカリオンやら子ども番組や 電車番組ばかり視ているテレビの 映像を通して視たわけですね まぁ これまでも 我が家庭内でも「がん」というワードは ちょいちょい出してましたし 子どもとの向き合い方 という 2年近く前のブログの投稿にも 残っていますが 子どもに私から 「がんのこと」を 時間をかけて説明したこともありました でも、その時は今よりも 子どももまだまだ小さく 分かってないことも多かっただろうし 年相応の理解力も前よりあるだろうから 今回 この放送を一緒に視た後 今だッ! と ばかりにずっと取っておいた 以下の小冊子を持ち出して来て 「お父さんはこれから大事な話をします! 聞いてください」 と 歌手の歌い始めのMCばりに 子どもに言った で 子どもたちに 「お父さんの病気のがんのこと」を 説明しました。 ちなみに 病院にあった冊子で いろいろ見てきた中で 分かりやすく 説明しやすそうだったので 活用させていただこうと 前々からこういう時の為に 取っておきました (写真アップロードしておきます) あと、PDFデータが 下記からダウンロード出来るようです、 https://www.novartis.co.jp/our-work/support-for-patients/disease-onc-whats-cancer 内容や活用したい方、 興味のある方は中身をご覧下さい 内容は 至ってシンプルで ・がんはどんな病気なの? ・僕のせいでなっちゃったの? ・私もなっちゃうの? といったような 流れで 子ども目線での それらの質問に対して 回答していきながら 読み進める形式の本となっています。 (へぇ~ こんなのもあるんだぁでしょ) 3歳の次男には まだまだ分からないことだらけなので 途中から 話も聞かず フラフラ違うところに行ったりしたので ほぼ伝わってないように思いますが 6歳の長男には 分からないところもありながらも 前よりは理解してくれたのでは と思います 「うーん わからない」とは言ってましたが… 時折険しい顔したり、おどけたりしながらも でも最後までちゃんと 本人は分からないなりにも 聞いていましたので ちゃんと知りたいことだったのかな とも感じました (うむ) まぁ こうやって 時折 きっちりと家庭内でも 説明して 子ども達にも 「お父さんはこんな病気なんだよぉ」と 隠さない方が我が家には良いのかなと思い 試しながら やってみてます ただ、話の流れや形式は非常に良い反面 我が息子の年齢には内容や言葉のチョイスが 若干難しかったり、ビジュアルがイマイチ 子ども心を掴んでいないとか フィットしていないところが多々あるので 「じゃあ これ うちで作り直そうか」 と思いました ※これもDIY (do it yourself) ならぬ DIMY 精神ですね(do it myself) 身近なところから 少しずつ理解を拡げることも 大切なことなのかなぁ と 今回メディアを通して多くの方に 「がんゲノム医療」というテーマで がん治療の一部を進めるイチ患者として 取り上げていただき よりがん治療への理解が拡がればなぁと思い 初めは取材を受けたのですが 自分が逆にいろんなことを教えていただける 機会でもあったなぁと 進めている中でも放送が終わった後にも 感じました 同じ患者さんからいただいた意見にも 「がん治療」はいろんな課題や改善点があり これだけではないので このことにとどまらず 様々な観点から患者自らも情報発信したり することも大切ですよね とか 自分も周りにがんのこと話そうと思った とか 私にとっても励みとなる 有り難い言葉も頂きました 治療を続ける患者さんのそれぞれの想いも 改めて いっぱいいただき 知ることも出来ました そのあたりも全てまとめて メディアの担当者にも 患者や視聴者の声としてお届けし 継続して関係を築きながら 情報発信することで がん治療の理解が進めばと思います。 とにもかくにも ご協力いただいた皆様 ありがとうございました そして 我が子の為にも 家族の為にも 「お父さんはがんである」けど 変わらず 出来ることからやっていくぞぉ! と 子ども達への冊子を読み終えて 心の中で誓うのでした 続く…
作成日 : 2019-06-09 06:55:54
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がんである ということ
「私はがん患者です」と 患者の皆さんはどれだけの人に 自身ががんであることを伝えていますか? 家族や知り合い、仕事や地域の関係… 社会生活を送る中でいろんな状況に合わせて 伝えずにいたり 伝えていたり 人それぞれだと思います。 ここのところ私が 取材を受けたりする中で この「がん患者である」 ということについて 最近感じていることを タラタラと長い文章になるかと思いますが 書き残しておこうと思います。 時間あったら お付き合い下さいませ~ 私の場合 「がんである」ということは 告知を受けた当初から 周りに伝えていました。 癌性心膜炎を発症した当時(2年ほど前)は 状況が良くなかったこともあって 周りに“今の私の状況”を伝える為にも ブログを通して 特に家族や知り合いに向けて 必死に伝えていた時期があります。 周りに「私はがんです」と ほぼ伝えていたので フルオープンに近い状態にして こちらが状況や想いを伝えることで 少しずつ お互いの距離感や 接し方が分かってきたのかなと思います。 周りも聞いた時は 少なからずショックを受けたと思いますし どう接したらいいのだろう???と 困らせたかと思います。 (その当時はお世話をかけました) 進行がんの治療を進めていく中で 入院したり 治療したり 副作用期間があったりと 前とは違う生活のリズムとなったので これまでと一緒に 「じゃ 今日 飲みに行こうか?」とか 「週末 遊びに行こっ!!」とか いつでも気軽には出来なくなりました でも、だからといって 関係がなくなった とか 遠ざかったということよりも 今は 出来なくても 「また、回復した時に一緒に行こうね」 とか 「タイミングを合わせて このあたりに行こっか」 とか 有り難い言葉を貰っていた(いる)ので むしろ 患者にとっては それが励みになったりするんですよね 家族との関係や知り合いや人との関係が ある意味では 深まったようにも今は感じています また、治療を進めている中で 患者仲間も出来て 関係が広がっている そんな印象です がんであるということは 患者にとって 出来れば忘れたいことだけど 切っても切れない関係にあり (体の中に存在していて 物理的にも切れないだけでなく 心理的にも切れない関係 なんですよね) 仮に寛解したとしても 転移や再発があるかもしれないので おそらく一生付き合っていく関係 なんだと覚悟しています… 治療や検査をしている時や 治療のことを調べている時 ふとした時にもがんのことを 考えていることはありますが だからといって 患者は四六時中 「私は がん なんだ」と 考えている訳では、もちろんなく 生活をしている時 仕事をしている時 家事をしている時 子どもと接している時 誰も自分は がん なんだとは 考えていないと思います というか そのことばっかり考えていると バランスを保てないところもある と思います 自分ががんであるということを 本当の意味で受け入れるには 時間がかかることだと思いますし どのように受け入れて どのように接していくかも 人それぞれだと思います。 (私自身もちゃんと 受け入れることが出来るのに 時間がかかりましたし、 症状が安定しているから 出来ているところもあります) そして周りも がん患者とどう接したら良いのだろう と 悩むところもあるでしょう がんについて 以前より 世の中全体として オープンになってきているとは言え まだまだお互いに分からないことも 多いのだと思います。 だからこそ 周りに対して 今は 患者は患者で伝える努力を しないといけないのかな とも思いますし (無理のない範囲で良いと思いますが) これからの世代の 子どもたちへの「がん教育」も 大切なことなのかなとも思います。 ✳2017年度から、小中高等学校においてがん教育をスタートさせていて、中学校および高等学校の学習指導要領も改訂され、全国の学校でがんに関する授業が始まっているんですよね また、私自身もそうでしたが 「がんのこと」を告知を受けるまで ほとんど知らず 正直なところ告知当初は がんについて ネガティブなイメージばかりが かなり先行していたこともあり 治療の計画や選択するのに時間かかり 治療に入るのが遅れた ところもあります 今 こうやって 生きていますが 私の苦い経験のように イメージばかりが勝手に先行して 繋げる命を もしかすると 遠ざけてしまっていることも あるかもしれないのです そんなこともあって 正しい情報の発信や がん治療のあくまで一部ではあるけれど どういったものなのか ちゃんと伝えていくことは お互いに理解を深めていく上で 今後のためにも 大切なことのように思っています。 そんなことも諸々あって 取材を受けていく中でも 少し悩みましたが 実名で 顔も出していくことにしました 自分自身への対応は 自身のことなので どんなことがあろうとも 対応していく覚悟でいますが 特に近いところに存在する 家族への影響も 少なからずあるなと思います。 (このことは妻とも話をしました) でも 隠してコソコソするお父さんより ドウドウとしているお父さんの方が 子どもにもちゃんと伝わるのかな という 個人的なところもあって 公表することにしました もしかすると 子どもの友達のお父さんお母さん等 知らなかった人からすると ちょっと戸惑うかもしれません (知っている人は皆さん 変わらず接してくれているので 有り難いです) がんを持つ患者の 家族との関係においても どう接していくのか そのあたりも時間と共に 解消されていけば良いなと思います よりお互いに理解を深めていく上で 少しずつ私も「がんである」 ということについて 付き合い方を学んでいます これからも少しずつ 都度 状況に合わせて考えながら 関係を築いていきたいな そんなこんなを思う今日この頃です 続く… --------------------------- 肺がんHER2陽性グループ 「HER HER(ハーハー)」結成 肺がんHER 2の方は コチラhttps://ameblo.jp/hamk23/entry-12392632444.html ご覧いただきコメントもしくは メッセージください お待ちしております。 --------------------------- 治療経緯は コチラhttps://ameblo.jp/hamk23/entry-12375557677.html 初めての方、ご覧ください
作成日 : 2019-06-09 06:49:17
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がん治療と育児について
どうも 37歳 二人の子持ちのお父さん ハムだぁ!でございます 昨今「治療と仕事の両立支援」については、 厚生労働省もガイドラインを作ったり 世間でも少しずつ浸透し 理解が進んでいるところがあります。 (実際には諸々課題はあると思いますが…) で、もう少し 突っ込んで話をさせていただくと 私の家庭もそうですが 子育て世代のがん治療をしている家庭で 生活をしていく上で仕事も大事ですが 「治療と育児の両立って どうなん?」 ということを今回はテーマに 投稿させていただきます。 (今回はいつも以上に長くなりますので お茶でもすすりながら ゆっくり読んでください) ●まず、はじめに… 私は3歳と5歳の子どもを持つ お父さんであり 治療を続けている肺腺がん患者です。 告知を受けた時は 1歳と3歳の男の子だったのが 4月からは 下の子は幼稚園児に 上の子は小学生になるので 感慨深い (ウルウル) と そんな 個人的な感傷に浸ることは置いておいて… おそらく普通のお父さんよりも 病院にいる時間も多いでしょうし また、家庭にいる時間も 多い方だと思います。 なので、 この2年間はがん治療をしながら 育児の現場にもいました。 (といっても妻に頼ることが ほとんどなので 育児に協力と言えるほど 協力出来ていない部分もありますが…) で 実際に経験をして思うことに 「育児 大変ッス」 です このキャンサーペアレンツの中でも 私の患者仲間の繋がりの中でも がん治療をしながら 育児をしている お母さんがもちろんいらっしゃいます この投稿をする前にも 知り合いの数名の治療中のお母さんに 少し、その声も聞いていたのですが この負担は 並々ならぬもんだと… 感じてます で、あえて 今回 投稿をさせていただき 少しでも より良い状況につながればなぁ と思い 投稿させていただきました で ●お母さんたちの声を聞いていると… 「身近なパートナーや 特に親のサポートが大切だ」 というか それがないと治療をしながら 育児と生活のバランスが 崩れてしまうところがあります。 治療を続けていく為に、 親の近くに引越しをされた方がいたり 抗がん剤の副作用で厳しい時は 親に預けたり 父親に早く帰ってきてもらって 家事を手伝ってもらったり 家族のサポート体制の構築も大事です。 でも、よくよく聞いていると その家族のサポートは もちろん有り難いことだけど 何だかんだ 自分(お母さん)が 気合や根性で育児をカバーしている ような状況でもある ということです。 本当は、副作用でもの凄くダルいし、 吐きそうなぐらい気持ち悪い時でも 自分が何とかしなくては という強靭な母心もあり フラフラになりながら 育児をしているような状況です。 一部、私が聞いているところで 解釈しているところもありますが そのように「大変だ、大変だ」と 治療をしているお母さん達が 大きな声ではなかなか周りに 言えない部分もあるのかな とも感じています。 育児をするだけでも大変な上に さらにがん治療をするということは、 お母さん達にとっては かなりの負担がかかっている状況ですし 自分の時間を確保するのも難しいことだ と思います。 work life balance ならぬ cancer parents life balance の大切さ 考えものです しばらく、いろんな方から引き続き ヒアリングしていきたいと思いますので 悩みや問題、感想や意見など よかったら聞かせてください。 ●支援制度の一つとして… で、少し 治療と育児の両立について関わりが ありそうこなことを調べていると 「ファミリーサポートセンター」 というものがあることを知りました。 (そういえば前に一度 聞いたことあったけど 記憶が飛んでおりました) ファミリーサポートセンターとは 子を持つすべての家庭を対象に、 厚生労働省が支援する事業の一つで 各市区町村が運営しているようです。 地域において育児の援助を受けたい人 と 援助を行いたい人 が それぞれ申し込んで会員となり、 各市区町村のセンターが仲介して 相互援助をサポートします。 具体的には、保育施設への送り迎え、 保育施設の時間外や 学校の放課後などに子どもを預かる、 通院などの際に子どもを預かる、 保護者の病気や急用の場合に 子どもを預かる等の援助をしてくれます。 お住まいの近くの ファミリーサポートセンターは、 一般財団法人女性労働協会 サポートセンター http://www.jaaww.or.jp/research/ より検索できるようです。 地域で子育てを助け合う 有償のボランティアです。 「誰に頼んでいいかわからない」人と、 「お困りなら、お手伝いしますよ」 と言う人を結ぶ役割を ファミリーサポートセンターが お手伝いします。 とのこと (へぇー そんなサポートがあるんだぁ です) ちなみに私の地域では 利用料金は 子ども一人につき 月~金曜日(7:00~19:00) 700円/時間 上記の時間外及び 土・日・祝日・年末年始(12/29~1/3) 800円/時間 が利用料金となるようです。 ふむふむ うーん でも 実際利用するのかな どうかな? ということで 例えば 私がお父さんではなく、 お母さんだったらということで このサービスを通院日に利用したい と考えた時のことで まずは シミュレーションしてみましょう! 通院外来で3週間に一度 抗がん剤治療を続けている ハム子さんということで… 治療内容や病院と家との距離や 諸々状況にもよりますが 通院は、これまでの経験からすると 平均して朝10時ぐらいには家を出て 病院へ行き 検査やら診察やら治療やらして 家に帰ってくるのは16時ぐらいなので 「6時間預かってぇ」 ということになるかな 換算すると 6時間×700円なので4,200円 かかるわけですね (サポートいただく方の交通費なども 実費で支払なので+αかかります) なるほど なるほど うーん だったら 私(ハム子さん)の場合は 実家が割と近くにあるので、実家に預けます ってなるかも ただ、これは 私(ハム子さん)の場合のことなので 問題なのは ・実家が近くにない とか ・周りにサポートしてもらう には気がひける という家庭もあるでしょうし あと、通院する日だけでなく 副作用でしんどい時間も含めると 実はもっと預けたい というのが 当事者の本当の声ではないでしょうか? 副作用でしんどい時ほど 気兼ねなく周りの手をかりたい というのも お母さんの心の声ではないかと思います。 でも 毎月、治療費がかかる上に さらに朝から夕方まで 1日4000円~5000円も 育児に支払えないよぉ(泣) というところではないでしょうか 仮に6時間/日を5日間利用すると 2万円ぐらいの出費ですからね 大半の家庭においては けっこうな出費です… ならば我慢して 「お母さん業 やるわ!」と なるのかもしれません (本当に 大変なのに…) この支援サービスも 例えばですが 治療をしているお母さんを対象に 子どもが乳児の場合 とか 未就学児の場合 とか 年齢とか条件によって、 軽減とか免除のように 割引サービスに出来ないのだろうか とか思ったりします。 今回は私が無知なところもあるので 「ファミリーサポートセンター」を 事例の一つに挙げて投稿していますが、 他にも 「治療と育児の両立を支援」する サービスや取組はあるんでしょうか? 先輩患者さんの方や 何か知っている方いたら 教えてください 育児をしながら 治療を進めるお母さんにとって より良い支援制度って何だろう? より良い状況にするには どうしたら良いのだろう? もう少し考えるべきじゃないだろうか (別にお母さん限定にせず もちろんお父さんにとっても より良い在り方を 探りたいところですが…) 今回は 「がん治療と育児について」 投稿してみました。 感想でも良いですし お知恵あれば くださぁい 私もこのテーマについては 引き続きヒアリングをしたりしながら 考えていきたいと思います。 より良い状況になるように 繋げられたらと思いますので 宜しくお願いします。 長文 ごめんあそばせ 続く… --------------------------- 肺がんHER2陽性グループ 「HER HER(ハーハー)」結成 肺がんHER 2の方は コチラhttps://ameblo.jp/hamk23/entry-12392632444.html ご覧いただきコメントもしくは メッセージください お待ちしております。 --------------------------- 治療経緯は コチラhttps://ameblo.jp/hamk23/entry-12375557677.html 初めての方、ご覧ください ---------------------------
作成日 : 2019-01-17 16:59:23
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がんとお金④ 障害(厚生)年金について
私が障害年金を申請した体験をもとに 今後、同じように患者さんが申請する為に ちょっと役立つ情報を提供出来ればなぁ と思い、残しておきますネ (なので、興味ない人は スルーしてください) がん患者の方、家族の方 どうぞ良かったら読んでください さてさて 障害(厚生)年金って 「私、関係なぁい」と思っている がん患者の方もいらっしゃると思いますが まず、諸々要件はありますが がん(悪性腫瘍)を患っている人は 障害年金の受給の対象になります。 障害と言ってもいろんな区分があり がんに関しても 障害の取り扱い区分に入っています。 (知ってましたか?) そして 働いていても 働いていなくても 受給出来ます (えっ! そうなん? と言う感じなんですが 働いていたら受け取れない わけではないそうです) ※ただし、働いていない方が 障害の程度が厳しいと扱われ易いので 審査の際の評価も違ってくる 可能性はあるようです でも 働いている 働いていないに関わらず 対象になります なので、がん治療しながら働いている人も 「俺 関係ないわ」 と ここで読み終えないでください ハイ あと、障害(厚生)年金は 一番厳しい状況の1級から3級までの 等級がありますが (障害厚生年金の場合は3級まで 障害年金の場合は2級までですが) 等級にまで及ばない 軽度の障害の場合は 障害年金の一時金である 「障害手当金」と言うものもあるようです ※障害手当金は 障害年金の支給に相当しない程度の 障害が残った時に支給される一時金です。 厳密に言えば、 一回のみ支払われるものなので 「年金」ではないようですが 一時金が受けられるようです。 (ほおほお) 初診日に厚生年金に加入していることや 初診日までに一定の保険料を納めていること 一定の障害状態にあること など要件はありますが その額は、報酬比例の 年金額(3級障害厚生年金)の2年分で、 最低保障額は現在約118万円です。 とのこと 等級によって支払われる金額や要件など もうちょっと詳しいこと知りたい方は 以下ご覧下さい がんを学ぶ 生活への支援制度 障害年金とは さらに続けます さて 今回の私の申請は 社会保険労務士の方にお願いせず 自力で書類一式を揃えました (専門の方にお願いすると スムーズに進めていただけるので 安心ですがそれなりに費用もかかります。 ただ、だいたいが成功報酬で されているようですので もし障害年金が 受け取れなかったとしても安心ですね) 自力でやるのは ちょっと面倒かもしれないですし 状況によっては それどころではない方も いらっしゃると思うので 自分でやるか専門の方にお願いするかは お任せしますが やってみて思うこととして 自力で充分出来ますよ ということ また、自身の状況は自身が 一番分かっているはずなので 情報を記入しやすい 話を進めやすいとも言えます なので 自分でやることもおススメします ただ、今回自力でやった とはいえ、私は 無料の年金相談センターに2箇所行き 社会保険労務士の方にお願いして 書類の書き方や準備の仕方等の 一通りのレクチャーを受けました (全く何をやれば良いのか 初めは分からなかったですが 聞けば要点が分かり スムーズに申請を進めることが出来たので 自力で申請する方も無料相談を利用すると 良いかもしれません) さてさて では、ここで 申請するにあたっての 大きなポイントをお伝えしておきましょう (社会保険労務士の方に 教えていたことなんですが へぇー そうなんだ ということだったので残しておきますね) ポイント① 審査の等級は医師の診断書の内容で 8割ぐらい決まってくる (ここ めっちゃ大事) ポイント② さらにその診断書内の 1 一般状態区分表の該当する区分 (ここも めっちゃ大事) 2 自覚症状、他覚症状 3 現症時の日常生活活動能及び労働能力 4 予後 ここらへんの書き方で ほぼ決まってくる そうです 視覚障害や聴覚障害などのような障害は ある意味 検査結果などの数値や レベルが設定されていますが 悪性腫瘍に関しては 数値では判断が出来ない部分が多く ほぼ、この上記の診断書の書き方で 審査されるようです あと、がん治療において 抗がん剤の副作用は ずっと同じ状態が続くわけではなく 波があると思うので 総合的にみてどうかということが前提ですが 受診する時のように副作用が抜けて良い状態 を中心に書くことよりも 副作用が出ている厳しい状態 ようは生活の中でどのような制限があるか を中心に書くようにするべきだそうです ポイント③ 自分で書く病歴・就労状況等申立書は 医師の診断書と大きな違いが ないように書くこと ポイント④ また、この申立書の中には 治療の経緯+ 生活の中で出来ないことを 具体的に書くこと あたりだそうです とにもかくにも 医師の診断書が 審査をするうえで 大切らしいです ただ、 医師とのコミュニケーションにおいて 密に話が常日頃出来ればいいのですが 受診時間も限られるので なかなか時間もとれませんよね 特に抗がん剤による治療は 通院外来の方がほとんどだと思います 日々の生活で副作用がどの程度出ていて どれぐらい生活に支障があるのか 医師も詳しく把握出来ない 部分もあると思います (むしろ、患者に一番情報があるので 自分自身が把握しているはずですからね) なので 診断書を書いてもらう際に 付箋やメモに箇条書きなどして 日々の状況などを書いておいて 申請書と共に渡すと医師も分かりやすく 診断書が書き易い と言えます。 あと この障害年金の申請を進めるにあたって 私は病院内のがん相談センターにも 相談しており ソーシャルワーカーの方とも 同時進行で話し合いながら進めました というのも 医師と患者の間に ソーシャルワーカーの方が入って 状況に応じて うまくいくように取り計らってくれる とのこと 社労士の方からアドバイスもあったので 相談しておりました 結果からいうと ほぼ主治医と私のやりとりだけで 特に何も問題なく済んだので ソーシャルワーカーさんが病院内で 医師とやりとりしたりする必要も なかったようですが 何かうまくいかなかったり 伝わらないことなどがあった場合は 助けてもらえるので 相談して進めると良いと思います。 まぁ 細かいところで えッ?どういうこと?とか チョロチョロとありますが がん患者の方は要件に合うようであれば 申請手続きをすることおススメします なぜなら 治療において副作用期間中は どうしても通常のカラダとは違う制約を 受けると思いますし その分、働けないこともあると思います その分、収入が減る事にもつながると思うので そこを補うこと 経済的不安を少しでも解消すること という意味においても この障害(厚生)年金は 受給出来るならば受けた方が良いと思います なので 気になった患者の方は 是非とも申請を行ってみてください というように 私は 社会保険労務士の方 ソーシャルワーカーの方にも 助けてもらって 昨日 年金事務所の窓口で申請してきました 特に問題なく、一発で受理されたので 良かったのですが 審査の結果が出るまで 3~4ヵ月ほどかかるそうです 気を長くして待ってますよ っと とにもかくにも 「障害(厚生)年金」 というものがありますよ ということと 申請する上での ポイントなどの紹介でした 続く…
作成日 : 2019-01-05 18:52:36
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がんとお金③ 住民税非課税世帯、高額療養費について
今回はタイトルの通り 住民税非課税世帯について 書きたいと思います 何を隠そう 我が家は今年度 住民税非課税世帯となりました 何故なら 去年度、治療に専念する為 健康保険協会から傷病手当金を もらっているものの 私、働いていないので 所得がガクッと下がったこと あと、医療費控除(上限越え)やら 所得控除の関係もあり 今年度、住民税の 非課税世帯となったようです で 調べたところ住民税非課税になると 高額療養費が減額される という恩恵があるようです (知りませんでした) 表の一番下の区分オとなる ※70歳未満の場合です いわゆる低所得世帯ですねぇ ガビーン なので、私の場合 毎月の医療費の支払いの限度額は 多数該当ならば 44,400→24,800円 に 減額されるようです (ありがたい話です) ちなみにこの恩恵も 自ら健康保険協会に 限度額適用認定証の変更手続きを 申請しないといけません 限度額適用・標準負担減額 認定申請書について https://www.kyoukaikenpo.or.jp/g2/cat230/r122 自動的に切り替えてもらえたら ありがたいのですが そこまで親切なシステムではない ようですね 尚、限度額適用の 所得区分の年度切り替えは 8月とのことなので 私の場合はちょうど良いタイミングだったようです ちなみにこのあたりのことは 病院の中にある がん相談センターの担当の方とも 相談させてもらいながら 教えてもらったり 自分でも問い合わせてもらったりして 進めましたッ 専門の方に聞くこともオススメですね マイナンバーとの連携で 以前よりは役所に行って 住民税非課税の証明書などの 書類の入手する手間が 省略出来るようになっているようで 少しは改善されているようです また、申請して1週間程度で 申請も受理されて、認定書も 郵送で届きました (この手続きはわりと早い) 収入は減りましたが 支出の負担が軽くなるのは 本当に助かりますね とはいえ 毎月皆さんも同じように 健康保険の費用や年金は 払っていくことになります 給料から 税金やら健康保険やら年金やら なんでこんなに引かれるんだぁ と ワタクシ以前は嘆いてましたが 今は諸々の恩恵をガッツリと 受けているので 有り難いとしか言えませぬ まぁ、70歳を越えている高齢の方は その恩恵をさらに受けられるようですが その分、支払ってきているんですもんねッ あと、住民税非課税による 恩恵として 以下のようなこともあるようです (自治体など地域によっては 該当しないこともあるようですが) ・入院中にかかる食事の自己負担額の減額 ・がん検診料金の免除 ・予防接種が無料 ・保育料の減額 ・介護保険サービス料の割引 等 (他にあれば教えてください) とにかく 我が家は30代の子育て世帯です がんの治療だけでなく どう生活していくか 長い治療生活になるほど そんな壁も 乗り越えていかなければなりませんッ ちなみに がん制度ドック という がん治療時に患者や家族が利用できる 「公的な支援制度」や 「民間の支援サービス」を 検索できるウェブサービスがあります。 http://www.ganseido.com/ 試しに私も使ってみましたが 知らない支援制度もありましたッ なので 患者やご家族のの方で気になる方 興味のある方は一度検索してみると 発見があるかもしれません よかったら どんぞぉ ということで がんとお金に関する投稿でしたッ!
作成日 : 2019-01-05 18:49:23
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がんとお金② がん治療の費用や限度額適用について
前に一度、がんとお金 というタイトルで投稿しましたが 今回は 化学療法の治療費について そして、 健康保険の限度額適用について もう少し踏み込んだ話を 投稿しておきたいと思います。 化学療法というのは 薬にもよると思いますが わりと高額とは知ってましたが 明細を改めて見てみたら やはり高いんですねぇ 外来でカルボプラチンとアリムタの 抗がん剤を使用した私の場合 (健康保険で3割負担の場合) 驚くことなかれ 2クール目が 395,880円!で 3クール目が 401,040円!でした アリムタ(ペメドレキセド)が高額だ と 以前に医師から 聞いたことがありましたが けっこう高いですねぇ でも でも 恐れることなかれ 大丈夫です! 健康保険の 自己負担限度額適用のおかげで 私の所得区分では 8万円強/月に抑えられます ※ただし、事前に限度額適用認定証を 提出する必要あります ありがたいです 1クール目の 12月の化学療法の入院時の明細をみたら 100万円近くの費用がかかってましたが これも健康保険の限度額のおかげで 同じように負担金が抑えられてました それなりに毎月治療費はかかりますが 健康保険サマサマですね オプジーボをはじめとした 免疫チェックポイント阻害剤は もっと高額だったりして 薬の費用負担については国の財政の中で 医療費問題にもつながっていたりします 製薬会社も開発費用に対する 投資負担分があるのも分かる 患者としては、健康保険で軽減されていて 有り難い反面 モヤモヤっとするとこもあります が 患者としては健康保険サマサマです ほんまに… もう少し治療費の負担について お話ししておきましょう 限度額適用の制度には さらに「多数該当」という 有り難いことがあり それは 1年間(診療月を含めた直近12か月)に 3回以上高額療養費の支給を受けている場合 4回目からは 自己負担限度額が 軽減されます。 私の場合は 4回目からは限度額が 44,000円/月になります。 なので、例えば 保険対応の治療を1年間行った場合 (毎月、限度額適用の治療の場合) 約80,000円×3ヵ月 =240,000円 約44,000円×9ヵ月 =396,000円 よって 約64万円 が年間の治療費用の負担になります。 ※1 例えばさらに治療を一年以上越えて 化学療法を毎月続けていくとした場合 多数該当がずっと適応されるので 約44000円×12ヵ月=約528,000円が 年間にかかる治療費になります。 ※2 ただし、入院中の差額ベッド代、 食事代や交通費等は含まれません。 ※3 また、限度額の負担額の詳細は 治療費によって若干違うので あくまで目安になる ざっくりとした額にしております。 ※4 これは保険対応の標準治療を 受けた時の話で健康保険が適応しない 先進医療や自由診療を受けた場合は その分の治療費用が上乗せされます。 (10割負担で限度額も適用されないので 一気に負担額がはね上がりますッ!) ※5 あと、サプリメントや補助食品なども 手を出せば出すほど負担額は上がります。 なので、 潤沢な資金をお持ちの方はともかく そのあたりもふまえて 家計の収入や支出のバランスもみながら 治療していくわけですね このあたりのことはベテラン患者さんは 皆さんご存知かと思いますが これから治療を始める人にとっては 気になることかなとぁ思い 書いておきました。 その人の所得や年齢などによって そのあたりは変わってくるので 上記の費用とは異なることもありますので 詳しくは健康保険のページまで 医療費が高額になりそうなとき https://www.kyoukaikenpo.or.jp/g3/cat310/sb3020/r151 あと、がん治療に関わる 健康保険に適応する治療費を 任意保険でどれぐらいカバーするかといった 一つの目安になると思うので 検討材料としても知っておくと がん患者だけでなく 健康な方にも良いかなぁ とも思ったので残しておきます。 あともう一つ 多数該当について 健康保険協会に問い合わせみて 初めて知ったことがありました 内容が長くなってますね もうしばしお付き合いを… 同じ病院で限度額適用が4回目だったら 多数該当が病院の支払いの時に 自動で適用されるようですが 私のように違う病院で 限度額適用を使用した場合は 他の病院での限度額適用の回数を 把握出来ない為 自分で健康保険協会に申請しないと 多数該当にならないそうな (オォ ややこしいぃ~) なので、同じ病院に通っている場合とは違い 1年間の間に違う病院で限度額適用を 4回以上使った場合は 自分で限度額適用の多数該当の 申請書を出す必要があるようです 私の場合は既に2回分逃していたようです… 病院間での連携は出来ないのか?? (是非改善して欲しいところです) しかも申請してから返還されるまで 4ヵ月近くかかるそうな (なんとまぁ! 時間がかかることッ) というように、 健康保険サマサマな部分もあれば ヤヤコシヤァの部分もあるんですねぇ (知りませんでした) 年齢や所得、入っている保険や 選択する治療の内容等々 人によって違うので あくまで30代子育て世代の 私(夫)の場合の話なので 参考になるか分かりませんが 残しておきましょう とかく 進行がんの治療で その人の苦痛を取り除くことにおいて 痛みや苦しさといった身体的な苦痛 や 不安や落ち込みといった精神的な苦痛 の 患者の状態をみがちですが 仕事や経済的な問題、人間関係といった 社会的な苦痛 や 死生観や価値観の変化といった苦痛もある ことを忘れてはならない と ペインクリニックということについて まとめられていた情報もあったので そうだなぁ と 思うところもあったので 残しておきました がんが発覚したら もちろんみんな初めてだから 何がなんやら 分からなくなる時期もあります 私も例外ではなく 入院もしたことがなく これまで健康な体だったので 病院というところとも ほとんど関わりがなかった者なので 知らないことが多いです 私は一年近くがん治療を体験しながら 知識も少しずつ身についていき ようやくこういうことにも ちゃんと向き合えるように なったのかなと思います。 当たり前ですが 命はお金では買えない もちろん自分の体だから 自分で治す気持ちを持ちつつも でも、医療に生かしてもらってるのも事実 ただ、私も家族も生活は続きます そのあたりのバランスも含めて 治療していくのが 現在のがん治療なんですねぇ ちょっと子育て世代のがん患者のボヤキ みたいな投稿になってしまいましたが… 治療費について情報を残しておきますね 今日も長い文章となりましたが ここまで読んでいただき ありがとうございますッ! 続く…
作成日 : 2019-01-05 18:41:43
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【お願い】声の障害マーク(案)の提案とご協力について
タイトルの通り 今回は私の初めての試みともなりますが 提案とお願いがあり投稿します (自身のブログでも投稿させていだきましたが、こちらでも投稿させていただきます) 【背景】 私は、肺がんの摘出手術の際に 「左側反回神経」という 声帯に関係する神経を 腫瘍と共に切断した為 声が出にくくなりました。 その時までは 通常の声が出せていましたが 実際に声が出にくくなることで ・外に出て、店で注文する時に 声が届かない ・困った時に人に助けを呼ぶ声が 届きにくい ・大人数の中で、話をしても 声が届かない ・知らない人からは、声が小さいので 「もう一度話してもらえますか?」と 聞き返されることがある…等々 実際に当事者となり 困ることがあります。 また、私だけでなく 声が出ない方、 声が出にくい方がいること、 音声障害や発声障害があること、 食道発声や電気喉頭による発声、 咽頭形成法による発声があること 生活をしていく中で困っていること があることを知り 何も私だけの話だけではないことに 気づきました… ただ、私がかつてそうだったように 逆の立場からすると 声が出ない、出にくい人は 見た目には分かりません… しかし、当事者になると 見た目に分からないからこそ コミュニケーションが うまくいかないこともあるのだ と実感しました。 ならば、それを知らせる サインのようなものがあれば お互いに良いなと思い 今回「声の障害マーク」を 作成しようとした経緯があります。 ただ、これも周りに認知してもらい お互いの共通の理解があってこそ 初めて成立するコミュニケーションだ と思っています。 まずは、何か議論をする為に 具現化した方が話がし易いだろうと思い 自分が出来る小さなことをしてみました 画像参照ください マーク(案)を 缶バッジにしてみました。 ただ、コレはあくまで 提案をし、議論していく為の チャレンジのスタートとして 表現しています。 今後の表現に関しては、 議論を進めながら まとめていけたらと思っています。 【今後の進め方について】 ・こういうことについて、どう思うか? 声の障害のある人も ない人からも ご意見をいただきながら 進められればと思います。 (コメントやメッセージをいただいたり 私自身も足を運んだり、 直接お会いして 当事者の方の声を伺えたら と思っております。) ・どのように進めていくとよいか? 皆さんのいろんな知識や知恵、 情報をいただきながら 出来れば参加もいただきながら 進められればと思っています。 (このようなことは初めてのことなので 正直なところどこに訴えれば良いか 私自身は分かっておりません… 探りながら、考えながら 進めております。) 行政や協会、団体、企業など 大きな組織から発信されること かもしれませんが 同じような境遇の人や 賛同してくれた人の 小さな声を束にして 大きな声にしながら まずは訴えかけていけないか とも思っています。 【目標】 世間への認知度が上がることで 声の障害がある人もない人も コミュニケーションがし易く お互いに思いやることの出来る 世界になれたらと願っています。 また、その為に役に立つ1つのツールと なればと思っております。 目標ポイントとして ・賛同者を募り、意見を交わしながら 具現化していくこと ・行政機関や企業など普及活動を サポートするチームの 構築をしていくこと ・将来的には内閣府の 「障害者に関するマークについて」に 記載され、共通認識が出来上がること 実際にこのマークが 世の中で機能するには 時間がかかることかと思いますが このブログの発信をスタートとして 今後、私が生きている間にも 動いていけたらと思いますし 小さなことでもかまいませんので 手助けしてもらえると 幸いでございます。 【進め方の1つの案として】 進めていく方法の一つかもしれないと 同病患者のなかちょんさんを見習い Change.orgのキャンペーンにも 応募してみました。 訴えかけている内容は違いますが 当事者の「変えたい」気持ちを形にする 第一歩となればと思います。 スローガン 「小さな声を、大きな声に」 共感、賛同の声を束にして 訴えかけていけないかと思います。 --------------------------- 声の障害マーク(案)の 提案とご協力のお願い (リンク貼れないので 以下からお願い致します) ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ https://www.change.org/p/%E6%8E%A2%E3%81%97%E4%B8%AD-%E5%A3%B0%E3%81%AE%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF-%E6%A1%88-%E3%81%AE%E6%8F%90%E6%A1%88%E3%81%A8%E3%81%94%E5%8D%94%E5%8A%9B%E3%81%AE%E3%81%8A%E9%A1%98%E3%81%84 賛同いただけると幸いでございます。 ---------------------------- 私は、たまたま肺がんが原因で 声の障害の当事者となりましたが 喉頭がん、下咽頭がん、 食道がんの患者さん また、癌とは違った原因で 声の障害を持っている方は たくさんいらっしゃいます。 どうか、そのような方々にとっても お役に立てたらと思いますので 賛同やコメント、ご協力を いただけると幸いでございます。 【ハムだぁ!心の声】 耳:聴覚障害 目:視覚障害 には障害に関するマークがあります。 でも 声:音声/発声障害 には障害に関するマークがありません 何故だぁ??? というのが 当事者の私としては素朴な声でございます。 皆様どうかご協力のほど 宜しくお願い致します。
作成日 : 2018-03-19 11:50:50
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日々の幸せ②
以前の投稿 100歳のおばあとの手紙で 登場していたおばあと両親と墓参りをしてきた 手術後、おばあと久しぶりに会った しかし 私は手術で反回神経を切除したので声が小さく 耳が遠いおばあと話をしても ほぼ話が通じていない キャッチボールのような会話ではなく お互いに投げっぱなしの話で 全く噛み合わない会話だ まぁ しょうがないか もはや手紙でのやりとりぐらいの方が ちょうど良いのかもしれないな と思いつつも でも、直接元気な様子を見ることが お互いに出来てよかったと思う 話があまり通じなくても それだけでも充分なような気もする ある意味、生きるライバルといってはおかしいが 老化による寿命期間と 病気による寿命期間 どちらが早いか遅いか分からない ただ、お互いに元気な様子を時折確認しながら これからも生きていこうと思う ということで変わらず 有難い存在なのだ おばあという存在は… さてはて 以前にも一度 タイトルの日々の幸せについて 入院中に投稿していたが 今回もちょっと、そのことについて 書いておこうと思う 私は最近、幸せだなぁと感じる がんなのに変な話である 病気が分かるこれまで 「幸せ?」と妻に問われると 10段階のうち2~3ぐらいと答えていた (けっこう幸せを感じていなかった…) なんかの本でも昔みたけれど 統計的に男性の方が低く、女性の方が高い傾向らしく 大きな傾向と自分も合っているのかな ぐらいにしか 考えてなかったっけな 客観的にみると結婚をして、二人の子どもも授かり 順風満帆な幸せな生活を送っていたのに 本人はあまり幸せを感じていなかった… これも変な話である 病気になるまで、仕事のことを四六時中 寝ても覚めても考えていたし 休みの日も考えていたり、疲れた体で 子どもを相手していても、上の空だったり… 仕事は仕事で面白さを感じていたが 今、思えば心に余裕がなかったのだと思う もったいない話である 病気になって 仕事から離れてお休みをいただいているおかげもあり 子どもや妻、家族の有難みを感じ 周りのサポートや励ましの言葉をいただきながら 治療に専念することが出来ている 本当に有難い話である 知人から 「いろんな病院もまわってヒアリングしたり 治療がまるで仕事みたいやな」 とも言われた うむ、そうかもしれない たしかに今、私に与えられた仕事であり そこから学べることや考えることがあるので 濃いぃ時間を過ごしていると思うし 充実した生活を送らせてもらっていると思う 人の幸せは、どんな状況であれ 本人の感じ方、考え方次第で変わるもんなんだなぁと思う 正直、今の私の状況は苦しいことや悲しいこと 悲観的に考えれば どんだけでもそっちに考えることが出来る でも、今この時々を大切にし 楽しく、夢や希望をもって生きることほど 幸せなことはないなぁ ともつくづく思う 私のこの病気の経験を通して 周りの方々も かつての私のような 幸せな状況を幸せと感じられないのではなく 少しでも心に余裕をもって 今を大切に、楽しんで味わって欲しいなぁと思う 人生は味わい深く、生きているだけでも素晴らしいもんだと 改めて思うからね なかなか日常の中で 死をみつめたり、生きることとは… なぁんて 面倒くさいし 重いし 考えもしないだろう だけど あえてそこを考えてみることで 今が充実したものになる とも思うので この私の経験やブログをきっかけでも 考えてみるのもよいのかな とも思う次第です 坊さんの説教のような話をしてしまいましたが お盆だったということでヨシナニ なむなむ…
作成日 : 2018-03-13 09:03:02
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ささやかな声
左側の反回神経を切除したことによる 私のかすれた声について 術後3週間が経ち ほんの少しだけ良くなったかな という感じです でも、今までの声が1~10まで出せるとしたら 1~2ぐらいまでしか出せない感覚に近い だから人と話をする時に どんだけ大声を出そうとしても出ないので 話がしづらいし 子どもを怒ろうとしても ささやくように「コラッ」としか言えない 「すいませぇん」と人を呼ぼうとしても ほぼ相手には聞こえないことがざらである ボリュームが出ないだけでなく 息が続かないから、長く話がしづらいし 食事をしながら話なんてしてしまった時には 咳こんでダイニングテーブルの上を シッチャカメッチャかな状態に 食事バズーカをかましてしまいます あと、音の高低差が出しづらいので歌を歌いにくい と言っても 歌は下手なので、それほど気にしないんですけどね ただ、子どもと一緒に歌が歌いにくいのは 少しアイタタタです また、子どもに絵本を読むのも ささやくようにしか読めないのも辛いかな だから ためて話をしたり 勝手に質問形式にして 子どもが飽きさせないようにしたりしてるんだけど イメージ通りに声が出ないことって 実際に生活してみて分かったんですが けっこう厳しいんですよね 話をこちらからするよりも カウンセラーのように聞いている方が 楽なことは確かです (この分野は得意です) どちらの反回神経もなくなったり 声帯を失い、声が出ない人もいるので 少しでも声が出るだけでも有難いと思いつつも 大声で伝えているつもりでも 伝わらないもどかしさというのか 生活をしているとチラホラと どうしても出てきます しかし、それも仕方ないッ 治せるなら出来る限り治す努力をしつつも 今 出来ることの中で、やれることをすれば良い そう思って、私の声と付き合っています ヒトタビ外に出て動いてみて分かるけれど パッと見て私が声が出づらい人 とは 誰も思わないんですよね そらそうだ 店員さんに注文する時 ちょっと分からないことを質問する時 困ります ちょっと、どうやって声をかけようかと タイミングをみたり ジェスチャーしたり と 考えてしまいます 見た目には分からないハンデを持つこと の厳しさを感じる 頭の吹き出しに 「私、声が出にくいんですけどぉ」とか 付いていたら分かるんだろうけど それはそれで、恥ずかしい 多数派の中で少数派が生きづらいことは当たり前なので 恥ずかしいなんて言ってらんないですけどね オシャレにさりげなく ハンデが共存する そんなことを願うし、そんなことに役に立てたらと また思う次第です。 ちなみに障害医者のマークには下記のようなものがあるようですが 声が出ない/出にくい人のマークはないんですね http://www8.cao.go.jp/shougai/mark/mark.html 京都の病院でも、ポスターがあり、見たことがありましたが 最近ではヘルプマークなるものも出てきています。 http://www.pref.kyoto.jp/shogaishien/helpmark.html 東京都が作ったようですが このヘルプマークも、発話障害者にとっては 何がヘルプなのか伝えずらいところもありますよね ならば 発話障害マークを創るかッ 何か良い考えはないかなッ と思う 今日この頃です 良いアイデアや工夫、 おススメの情報があったら 教えてください 私のささやかな声でした
作成日 : 2018-03-13 09:01:23
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片側反回神経麻痺
この内容は私のブログ内で 術後4日後に書いている内容です。 どうぞぉ 声に関してはガラガラ声で 声量が少ない状態が続いている。 これは一時的なものではなく これからしばらく付き合っていくことになるだろう 今日はタイトルの通り その原因である「片側反回神経麻痺」について お話しておきます。 片側反回神経麻痺 そんなこと聞いたことないですよね? とかいう私も聞いたことがなく 術後に初めて聞いたので びっくりしたところもあったんですけど… まずは経緯からお話を… 私は縦隔の位置にある原発の大きながんだけでなく 鎖骨のリンパ節にも転移していたのは 前々からPET検査で分かっていたのだが その転移先のがん細胞が 私の左側の反回神経に絡みついていたのが 手術で開胸し、術中に直接みて判明したのだ。 よって、その神経を切除しないと 転移したがん細胞は摘出出来ない状態だったのだ。 ①片側の神経を切除する= ガラガラ声になるけど、がん細胞は確実に摘出できる ②片側の神経を切除しない= 元の声と同じだけど、がん細胞は残ったままになる さぁ貴方はどっちを選択しますか? という判断になる ①は目に見えるがん細胞を摘出できる代わりに 声という機能が低下することになる ②に関しては、がん細胞が残るが、声の機能は残る (この場合、がん細胞を手術ではなく、もちろん 他の治療法でやっつけにいく方法もあるだろう) 術中、私は全身麻酔で寝ているので 私に聞くわけにもいかず ここは主治医の判断で①が選ばれたわけだが 私は、それで良かったと思っている。 術後、声がガラガラだったのは 正直びっくりしたけど 声を失ったわけではなかったし 元通りとまでにはならないけれど 今の状態よりはある程度は 改善されていく可能性もあるということを 術後に聞いたので、安心していた さて そもそも声を出す仕組みというのは どんなんだったけなぁ と調べたところ のどぼとけと呼ばれる軟骨の中にある声帯という 大きさ1~1.5cmほど左右に1本ずつある器官が 空気を吸う時などにV字型に開き 声を出す時は閉じている。 その閉じている声帯を通る空気が 振動することで声が出るそうな その声帯を動かす筋肉を操り、 発声をコントロールしている神経を 反回神経と言うらしい。ほほぉ なので、その片側の神経が 機能していないということは 片方の筋肉が動かない =片方の声帯が動かない 振動が起こりにくいことによって 声が出づらくなる ということらしい ※これが片側だけでなく、両側になると、 声が出ないということにもつながる。 だから、私は片方の神経を切除されているので 筋肉が動かず 空気の調節が片方でしか 出来ていないから、ガラガラ声というか 空気が抜けたような 力強い声が出しづらいわけですな あと、声の機能低下だけでなく 食べ物や飲み物などを飲み込む時に 鼻に逆流したり、 気道の方に入ってしまい、むせたり 肺の方に入ってしまって、 肺炎の原因になったりするそうな むむむ でも、この飲み食べに関しては この入院期間中に私は 病院食でいろいろと挑戦した 初め、水を飲もうとしても うまく飲めず 逆流して ブハっと出していたので 粉状のとろみをつけるものを看護師さんに教えてもらい さらさらのものをドロドロにして慣らして飲んだりしたり 恐る恐る固形物での食べ方も 試行錯誤したりしていた やっているうちに早い段階でコツを掴んだッ! 液体物も飲み込む角度など うまく飲むコツもやっていくうちに分かったので 結果、この一週間で 通常よりちょっとだけスピードは遅くなったけど 食べたいもの、飲みたいものが 口から喉に、そして胃へと 送ることが出来るようになりました。ヨシヨシ このようなことなので 声に関しても下を向くことなかれッ まずは6か月程頑張ろう! リハビリを行い、発声の訓練をしたりしながら 自然治癒で治る可能性がないわけではない また、コラーゲン注入や脂肪注入 喉頭(こうとう)形成手術など 現在調べているところだが 治療法もないわけではない とにもかくにも声に関しても 焦らず、時間をかけて 治していきたいと思う。 ちなみに今日、術後初めてお昼に 病院に外出届を出して、 一週間ぶりに外へ 一人昼ご飯を食べに行ったわけですが 騒がしい店内で「刺身定食一つ」という声を 店員に届けるのに必死になっていた 何なら拡声器でも持ち歩こうかと思った 問題はいろんな試みを行って 解決していくプロセスも面白い 「刺身定食一つッ!」 何でもないその一言が 店員に通るようになるように 声の復活劇も続けることになる…
作成日 : 2018-03-13 08:59:19
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100歳のおばあとの手紙
告知を受けてから いろんな人から 心強い言葉や励ましのメッセージ 有難い行動やお守り、 プレゼントなどをいただき 本当に感謝してもしきれない 昨日届いた会社の皆さんから数々の あたたかいメッセージの書かれた色紙 入院の時に持っていって パワーにしようと思います。 (本当にありがとうございます。) これはもう生き続けて 恩返しするしかないッ と思っている今日この頃 そんな中で今回書く内容は タイトルの通り、おばあとの 手紙のやりとりについてふれたいと思う やりとりしているのは 父方の100歳のおばあで (おじいは既に亡くなっている) たまに会うこともあるけど 実は大学生の頃から時折 手紙をやりとりする間柄 かつて私が小さい時は どちらかというと実家から近い 母方のおじい&おばあとの方が よく会っていたので 仲が良かったのだが そのおじい&おばあが亡くなったこと また、私が大学時代に 沖縄にいたこともあり 沖縄では、今まで育ってきた環境以上に 祖先だけでなく、おじいやおばあ 親、兄弟を大切にする雰囲気が素敵だなぁ と思ったところもあり おじい、おばあも大切にしないとなぁ ということで その時から手紙で ちょこちょこやりとりをしていた いつも、おばあの言葉は それほど長くはないけど 励まされてきた そんなこんなで、昨日届いた ハートフルな おばあの 手紙の内容を残しておこうと思う。 (達筆というか、いつもそうだけど 読めない部分が多く、文字のカタチや ニュアンスで解読している ところもあるのでご了承を) 原文をそのままに残しておきます。 ちなみに( )の中は 私の心のコメントです。 どうぞッ わざわざ御手紙を下さりありがとう。 気持ちだけで何にもしてあげられないので ごめんなさい。 (いやいや、気持ちだけでなく 今回の治療においても 援助やお札やらもらったり いろいろしてもらってるので、 ありがたい限りのなんの) 几帳面な貴方らしい字と文で感心しました。 それに心持ちもしっかり していて安心しました。 人間の心は不思議なもので 病気でも何でも働きかけ方、次第です。 東京で最良の手術をされる間 頑張ってしっかりと強い心で いってらっしゃい、みんなで待っています。 (本当にありがとう) 私なんか100才を超えたら もう生きているのが面倒で 何時でも命をあげますからね。 (本当にありがたい。でも命をもらったら おばあがなくなっちゃうよ! というか生きるのが面倒なの おばあ) 目も悪くなり、指もしびれていて 体もあっちこっちに行けず 本当に命をあげますです。 (前に会った時も 「私の命を貴方にあげたいぐらい」 と言ってくれて、ホロリしましたが 本当に命を渡すぐらいに 心配してくれているんだと思うと 生き続けることが恩返しなんだと思う うむ でも、あげますですって言葉 どうした おばあ) けい子様によろしく (むむ 誰だ けい子様とは… 私の嫁の名前と私の名前が ごっちゃになっているぞ おばあ) 乱筆でごめんネ グッドバイ (あちゃあ 最後に グッドバイしたら駄目やろ おばあ ここはシーユーアゲインとか 次につなげて欲しかったなぁ) 手紙は以上 とまぁ 非常にユーモア溢れるというか 天然でボケてくれるのだけど いつも有難い言葉や心配をかけてくれていて 日頃会ってもそんなに いっぱい話はしないけど このように手紙で送ってくれる言葉に 励まされたりするのである。 前よりは旅行やゲートボールにも 行かなくなった おばあ それでもいまだに普通に会話して、 歩いて、食べて… エネルギッシュで素敵な人です。 その長生きDNAが 私にも受け継がれているはず おばあから命をもらわずに 何とか自力で復活しながら 手紙書くよ 100歳と高齢なので、おばあも このようにいつまで 手紙を書き続けられるか 誰も分からないけれど 私はおばあとの手紙を書き続けようと思う そんなこんなで 私の復活劇は 続けるべきなのですます。 私、ハムだぁ!のブログは以下になります。 興味がございましたら、こちらもどうぞぉ https://ameblo.jp/hamk23
作成日 : 2018-03-05 08:39:27
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闘う男
男には 喧嘩をしたい男と 喧嘩をしたくない男がいる 私はどちらかというと 喧嘩をしたくない男の方であり 喧嘩をしないように 局面でうまくすり抜けていたように思う とかいう私は一度喧嘩をした というより小学校低学年の頃 最初で最後の喧嘩で失敗した その話からはじめましょう 私はその当時、若年性の遠視によって目が悪く ケント デリカット氏のように 目が大きくなるメガネをかけていた。 (当時はゲームをし過ぎていたこともあってか 先天的なものもあってか目を悪くしていたが サッカーを始めた頃から治ったので 今は目は良くなりメガネをかけていない) 当時それが少しコンプレックスでもあり 私はメガネについて 何かいじられるのが嫌であった。 そんなある日 コニシ君から(あえて固有名詞を使わせてもらいます。) 「メガネ猿ぅ」と 私にとって痛い言葉をくらった その言葉が発せられる前後関係はよく覚えていないが その言葉でメガネの私は、腹が立った カッチィーン 日頃穏やかな少年も この時ばかりは 頭にきて なんだと このやろう 決闘だ 決闘ッ おらおらおらおら と鼻息フンフン イキりたった私は 喧嘩モードにスイッチON 相手もかまえて いざ喧嘩が始まるぞ という教室 「あら、男同士の闘いかしらん」と ギャラリーである女子も集まってきた これは、男同士の闘い 女子諸君は入るべからず と さぁ喧嘩だ 喧嘩 私は先制攻撃を繰り広げるべく 蹴りを一発 コニシ君にオミマイだ!と思い切った しかし、その蹴りは思い切った力とともに 大きな空振りをして、コニシ君の体ではなく 空を切っていた。 あれれれぇええ と そのまま、私は体制を崩し 後ろに大きく倒れた ゴン あろうことか、私は喧嘩を仕掛けて数秒後には OHP シートを映写する機械が入った 大きな金属製のボックスに角に頭をあてて うずくまっていた 頭が痛い 手をあてたら ちょろっと血を流しているではないかッ! 血を見た瞬間に私は 「わあぁああああ」と泣き始め 喧嘩終了ッ なんと情けない喧嘩 これほどまでに短い喧嘩もないだろう かつ、相手は何もせずに終わる喧嘩も珍しいだろう コニシ君がその時どんな顔をしていたかは 私は知らない 先生の軽自動車に乗って 病院に連れていかれる私 病院から帰ってきた私の頭には メロンなどの果物に被さっている メッシュのようなバンドが付いている メロンメッシュバンドを付けた メガネ猿の再入場である 帰ってきた私に 成り行きを知らない友達からは 大丈夫?どうしたの?と 心配をかけられ 成り行きを知っている 声をかけてくれたクラスの友達の顔は やや半笑いだったと思う (これは記憶にない) その後、喧嘩相手のコニシ君とは 仲直りもせず 口もきかなかった そうこうしているうちに コニシ君は転校していき 学校からいなくなった 喧嘩別れというのか 何といったらいいのか分からないが 小学校高学年と時間が経ってから 少しだけ大人になった少年の私は 思い切って年賀状を出して 彼に謝ったことを覚えている その後、中学校の間ぐらいまで 年賀状だけでの やりとりをしていたコニシ君 お互いに成長して、いつのまにか 年賀状もやりとりせず 疎遠になってしまったけど どうしているかな? 私の最初で最後の喧嘩相手 コニシ君 最初で最後の喧嘩によって 私は喧嘩をするべき人間ではないと 小学校低学年で考え改め 喧嘩をしない人間に育っていった 出来るなら喧嘩になりそうな局面を瞬時に察知し、 その局面で違うアイデアを提案し切り抜ける 危ない局面から逃げる 私は小さな時から喧嘩をしないように あの時のような目にあわないようにと… しかし 男の人生において 真っ向勝負が必要な時もあるだろう 人間相手の殴り合いの喧嘩の闘いだけでなく 仕事におけるロジカルな大人の闘いもあれば このように病気との闘いもそうだろう もちろん、必要な時は覚悟して私は闘う がんにおいても 私の体の中での闘いともいえる 考え方としては がんと闘わないで共存していく という考え方もあるだろう しかし、実際は がん細胞が成長しないように 細胞レベルでの攻防は がんを患っている人だけでなく あらゆる人の中でも、 日々、起こっていること なので、 私たちの体の中では 細胞同士が闘い続けている バランスが崩れて 大きくなったり、浸潤したり 転移したり、再発したりする がん細胞 さぁ私の免疫細胞たちよ 是非ともズッコケて がんぼっちに半笑いされないように 頑張ろう とにもかくにも 手術が もうすぐそこだよ 私の闘いは続く 私、ハムだぁ!のブログは以下になります。 興味がございましたら、こちらもどうぞぉ https://ameblo.jp/hamk23
作成日 : 2018-03-05 08:38:17
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遅刻
私は人を待つのは、どんだけでも待つけど 人を待たせることは、しない そんなポリシーを持っていました (いや今でも持っています。) 私が人を待つ時は、人を待つのではなく 本を読んだり、自分のしたいことをしていたり 考え事をしたりすると イライラしたり、何でこないんだと プリプリしたりせずに済むので 私はいっこうにかまわない しかし、私が人を待たせたら 何で来ないんだ と相手が思うかも とか 待たせて悪い とか プリプリするんじゃなかろうかと 気が気でなくなっちゃう もちろん仕事においては 絶対に遅刻やお客さんを待たせるようなことは 決してしない ということで 私が待つことは良くても 私は人を待たせたくない 基本は5分前 さらに出来るなら もっと早く着いて 待ち合わせ場所の近くをブラブラしたりまでして 余裕を持ちたい方である とかいう私が がんの告知を受ける前のある日のこと 10年近く仕事をしていて、初めてといっても過言ではない 遅刻したことを思い出したので今日はその話を… それは、クライアント先への挨拶や打ち合わせ兼プレゼンがある時だった 私は仕事で忙しくしており、終電で帰るような日々が続いていて そこから夜中に、今後起こりうる病気のことを 夜なべをして調べたりしながら 組織検査の結果が出ないことには がんかどうか分からない状況ゆえに不安もあったりと 何とか気合いで乗り切っていた日々のことだった (気合で乗り切ろうとしてたけど 今思えば、気力も体力もその時期は かなり奪われていたんだな…) スマホやパソコンで病気のことを 調べていたら、いつ寝たのか 分からないような日々が続き そんなある日 アラームさせる携帯を握りしめたまま アラームをONせずに眠ってしまったのだ 朝 バッと起きたら、外がやけに明るい 起きるべき時間はもっと暗いはずなのに… 携帯の時間を見れば もはや朝早くの客先の東京へ向かうべき 新幹線の時間を過ぎている… 「なんで なんで アラーム鳴らないんだ この携帯めっ」 と怒ってみたものの アラームがONになってなかったのは 自分のせいだと気づくのに 数秒もかからない あぁやってしまった… 即座に直属の上司に電話もした 私1人だけでなく、チームで動いてよかったと思うと同時に 遅刻して客先の担当者へのお詫びや 信用に欠けるなと思ったり 情けないやら、やってしまったことへの後悔で いっぱいだった すぐに着替えて諸々用意して近くの駅の電車に乗るも 遅刻すること間違いなしの状況 その電車はいつも通勤する時間と 一緒の時間帯になってしまっており 元上司と一緒に電車に乗った 話をしながら どうしようもない状況でもあり 幾分落ち着きを取り戻して 新幹線に乗り、遠く関西から東京へと客先へ向かい 遅刻して頭を下げた… 遅刻といえばよくあるといえば、 よくあることかもしれない しかし、私は遅刻しないポリシーを持って ここまでやってきたのに それが崩れたわけだ まぁ なんでこんな話をしているかというと それぐらい、がんの検査結果を待つ状況の 人の心には葛藤があり 不安が大きく広がるものだということがあげられます 組織検査を受けて、がんかどうか疑いがある中で 無いとポジティブに願う反面 どこかで がん かも…と ネガティブにも考えている時間 それは、受ける本人にとっては かなりキツイことなんだなと 今になって思うし 私にとって、仕事人生において 初の大きな遅刻を起こさせるほど このがんぼっちは強烈な存在なんだなと 改めて思う 思い起こせば、告知を受ける前のこの時の方が がんのことを知らないが故に 自分がどうなるのかの不安や 無知からくる がんの怖さやら でも普通の日々が進み 心身共にきつかったんだなぁと思う こんな がんぼっちと私は暮らしていくんだな あははん などと少し楽観的に考えるぐらいが丁度よいのかも と今は思ったり そんなこんなである 今だからこそ、このように書けるけど その時はその時でそうも言ってられない… そんな風に5年先、10年先とか あとから見たら 「大丈夫だYO!HEY」 とか なんて陽気に言える そんな日が来ることを願いつつ 遅刻しない生活は続く… 私、ハムだぁ!のブログは以下になります。 興味がございましたら、こちらもどうぞぉ https://ameblo.jp/hamk23
作成日 : 2018-03-05 08:36:27
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がんという病気の伝え方
「これまでいろんな人と出会ってきたなぁ」 と 独り言のように書き出してみたけど これまで 学校で知り合った友達 仕事での同僚やクライアントの人たち 私生活での付き合い等々… 数えられない程 出会ってきた人はいる そのような中で 私のがんという病気をどこまで誰に伝えるべきか ということも考える 私は包み隠さず伝えることで 自分自身がどうこうというより どうやってがんと向き合うのか がんとはどういう病気で どんなことが起こるのか 少しでもそこから役に立つことや 生きる上でのヒントになることが あるかも…と思って このようにブログを通してであったり 会ったりして話をして 極力伝えるようにしている もちろん隠すことで 今までと同じ健康な状態の私で見てもらえたり 相手も考えなくていいので、良い場合もあるだろう だから、何が何でも包み隠さず 「オープンだ オープンなのだ」 としているわけではないのだが ちょっとそのあたりも考えてしまう がんの告知を受けたがん患者本人だけでなく がんと知ることで その周りが受ける影響もあるだろう だからといって 隠し通して生きるよりは そこから周りも得ることもあるだろうということで 「けっこう オープンなのだ」 といのが私の今のところの考え 心配や不安な部分ばかり見ていると 自分自身も周りも辛くなるだけだから どんな状況になろうとも 希望をもって生きていくことを続けることが 何よりも 自分にも 周りにも 良いことだと思う。 そのように 「復活劇を続けていきたいなぁ」 と独り言のように書き終わってみる 読んでいただきありがとうございます 次回に続く… 私、ハムだぁ!のブログは以下になります。 興味がございましたら、こちらもどうぞぉ https://ameblo.jp/hamk23
作成日 : 2018-03-05 08:35:23
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がんとお金
読んでいただきありがとうございます。 こちらキャンサーペアレンツでの投稿は しばらくは自身のブログで以前に投稿していた内容から 抜粋して投稿させていただきます… ご了承ください では、どうぞぉ 今回はがんとお金の話をしようと思います。 一般的な病院で受ける外科手術や化学療法、 放射線治療などの標準治療を受ける場合 健康保険の高額療養費制度によって 月の限度額があるのは有難い 所得に応じて限度額も変わるが 平均的な値として月8万円強はかかる。 長期間の治療を要して通院や入院をする治療の場合は それなりに期間もかかり、費用もかかり また、治療費が大きいのが保険適応外となる 陽子線や重粒子線治療等の先進医療や 免疫療法等の自由診療である。 標準治療以外の治療を受けようとすると 場所によって価格も変動するが陽子線治療は 概ね300万円弱 自由診療の免疫療法も場所や回数によって、 大きく変動するが 概ね200万円弱 100万円単位で治療費がかかる 私は保険に入っていなかったので 標準治療以外を受けたいと考えた場合 自費になるので、大きな出費となる。 がん保険に入っていれば 先進医療や自由診療もカバーしている保険があるとのこと がんになってから知った。 なので、保険の大切さ 今更、身にしみています。 ただし、統計によると がんは男女共に50歳以上から徐々に増え始め 65歳以上で本格化するようで 20代・30代で癌になる確率は、 1000人に1人と極めて低い。 「命より大切なものはない。 だから、お金を惜しむな」 よく分かります かかる医療費の支出だけでなく、 食事療法をする場合の食費、 栄養補助(サプリ等含めた)費用 諸々やればやるほどかかります 収入に関しては、会社の支援も有難く受けながら 有給休暇や傷病手当金、医療費控除などの制度を 活用させていただき、 生活に必要な一定のお金をもらっています。 しかし、子育て世代の夫の私にとって 子どもの今後のこと、家族が生活していくこと それも考えなくてはならない 日々、家族の大切さを感じつつも それを守ることも父の務めというもの また、周りのサポートへも感謝している もちろん身体を復活させて 社会復帰することで また、諸々返していけば良いか という想いもありつつ 転移再発を起こし長引く場合も有り得る そんなこんなで がん治療とお金というものは 切っても切り離せないことなのだ 何とかなるさぁ!と もちろん希望を持ちつつ どこかでリスクに対しても考えておかなくては 長期戦となるがん治療には 立ち向かっていけない 私は現在、自宅療養のおかげもあり 告知前後の期間よりもかなり落ち着き むしろ、前よりも元気なのではないか と思うほど、身体の調子は良い しかし、実際は身体の中には がん細胞は変わらずいるもので 不思議なものである。 がん患者というのは このように落ち着いてるように見えて 例え がんがいなくなっても、また現われることもあり どこかで不安も隣り合わせで その不安の部分ばかりみていると 精神的に弱り、がんが育ちやすい状況になってしまう だからこそ 強い気持ちや信念、覚悟が必要なような気がする。 フィジカルとメンタルのコントロール 治療の戦略や戦術、サポート体制 総合的に考え、立ち向かっていく このように復活劇は続くようだ… 私、ハムだぁ!のブログは以下になります。 興味がございましたら、こちらもどうぞぉ https://ameblo.jp/hamk23
作成日 : 2018-03-05 08:34:11
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おしお事件
タイトルの「おしお事件」とは 以前に世間を賑わせた「押尾」学氏の事件ではない。 我が家に起こった「お塩」にまつわる事件の話である。 私と妻はそれほど喧嘩をする方ではない。 たまにお腹が減るとお互いにイライラして 何を食べるのか?とか とても小さな事で喧嘩することはあっても 取っ組み合いや殴り合いの喧嘩をするような 暴力的な夫婦ではなく、実に平和的な夫婦だと思う。 しかし、私ががんを患い、一度喧嘩をした。 というか 今となっては、私が悪いことに 間違いないことに気づいているのだが 今日はその時のお話をしようと思う。 がんを告知されてすぐに取り入れたのが 標準治療ではなく、この食事療法だった。 (治療計画を練っているところだったので 「やれることから始めよう」ということで 本やネットの情報を頼りに すぐに始めたのが、食事療法だった) しかも、その食事療法は かなり厳格で今よりももっと制限の キツイものを行っていた。 何故なら、本から得た知識によって その食事療法によって がんが住みづらい体になるから… がんがそれによって消えていくかもしれないから… と大きな希望を持っていたからである。 「何が何でもやったるねん」と 意気込んでいた。 私は、必死だった。 まだ死にたくないし、 がんをやっつけてやると… (もちろん今もあきらめてませんよ やっつけること そして、共存していくこと) 塩に関しても ほぼ無塩に近づけようと 私はストイックなまでに制限を課していた。 さて、そんな大きな野望をもっていた 私なんですけど ダイニングテーブルに座り 治療について、勉強をしていた ある夕方のことである。 妻が私の後ろの方で 夜ご飯の準備をしている時のこと そんな時だ 「ガリガリガリっ」 これは我が家のキッチンにある 岩塩の入ったボトルで塩を削る音だ 私はすかさず 「それ何?塩?」 と 言い放つ (しかも、言い方が非常に悪かったと思う) 少し時間があっただろうか 妻はかなり怒った様子で 「そんなん言うんやったら もうご飯作らへんっ」 と ……… せっかく食事を用意してくれているのに 下の子をおぶって長時間あやしながら 食事を準備していたのに 塩をちょっと削って入れただけなのに (後で分かったのだが、大きな鍋のスープに 味見程度に入れただけのこと) 何も見ずに音だけで反応して 言い放たれた私の厳しい言葉に 非常に腹が立ったのだ。 そら、そうである。 塩をちょっと入れるぐらい いいじゃないか そこまで言われたら食事を準備する気も失せるし 何よりもその言い方はないんじゃないか 今となってはそう思う。 でも、私もその時は意地になっていた。 「塩を体に入れることは がんを育てることだ」 それぐらいに塩を避けていたし ガッチガチに頭がそっちにいっていた。 だから、私も 「悪いことを言ってないもぉん」 と意地になり 2階に逃げていく妻をほったらかしにした。 どれぐらい時間が経ってからだろうか 私は2階にいる妻のところにいった。 意地になっていた私も謝るわけでもなく とりあえず向かった そして、そんな私に妻は 「自分に焦点あてすぎやっ」 と言った。 私は今でもその言葉を よく覚えている。 「あぁ、妻にも見離されたかな」 とも思った。 がんになったことで 自分のことばかり考えて 妻のこと、家族のこと、周りのこと 全然考えられていなかったな と 非常に自分が情けなかった その日の夜、家の周りを一人徘徊した ちょっとした「吾輩なりの家出である」 とか思いつつ 「もう家に帰らないでおこうか」 とも思いながら 近くの琵琶湖まで歩いた… ただ、2月の寒い夜 薄着でしかも裸足に突っ掛けで出たものだから 寒くてしょうがない そうそうに家に戻ったのだ… そのあたりの考えを変える早さも 私の良いところである その夜は妻にゴメンとも言えず お互いにその日は何も言わずに 私は下のリビングのソファで寝た。 でも寝付けなかった 今の思いを手紙にして書いておいた。 ごめん、言い過ぎた と そこまで言わなくてもよかったこと 病気のことで必死だったこと ただ、今後も食事は大切だと思うから どうかサポートをお願いしたい と そんなことを書いた 次の日の朝 それを妻は読んで 許してくれた 食事療法は厳格にすれば厳格にするほど 我慢や負担がかかることもあります。 もちろん、それによって病気が治るかもしれない ただ、私の場合、やりすぎて それが逆に負担になり 美味しいはずの食事が我慢の食事になり 体が欲しいと言っているのに それすらも聞き入れない状態にもっていってたと思う。 しかも、それを続けたからかどうかは分からないが 心タンポナーデにもなってしまった。 それほど急成長しているがん細胞ではないようだが どうやら悪さをしている。 何が原因かは分からない。 ただ、食事に関して、急に今までと違う食事に変えたことで 私は我慢していたのは事実だ だから今は、当初よりは少しだけ緩めた 食事療法を行っている。 行いながら体の調子もみて、進めておこうと思う。 極端に無塩とか無糖とかの方向に走るのではなく 程々にバランスよく栄養をとることを大切にしたいなと 自分なりの食事、家族それぞれの食事があると思う 基本的には栄養バランスのとれた 出来るならばバリエーション豊かな 楽しい食事が出来たらと思います。 そんなことも教えてくれた これが我が家のおしお事件である。 お塩の取り扱いにはくれぐれもご注意を…
作成日 : 2018-03-02 15:38:37
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日々の幸せ
入院中にメモしたことは多い ノートを見返して、生命の危機を ギリギリで乗り越えた時のメモの一つを 残しておこうと思います。 日常の中にそんなに爆発的なハッピーは存在しない。 もちろんイベントのような時ははち切れる時もあるけど 日常はそんなことない そんな日常でも、少し余裕をもち、見方を変えれば そこにふふふと思えることってけっこう多い 電車の中の何気ない人の行動や 家の中のこどもの動き 何なら足元に生えている草や虫 自然の動きだってみようによっては面白い その感性は人によって違うはずだが きっと誰もが持ち合わせている ただ気づくかどうかが問題なんかな 今やスマホやパソコンの画面が私たちの日常の視界に どれだけの割合を与えているんだろうか? かなりの時間見てません? 移動中、家の中、寝る前、起きてすぐ 仕事中、家事中 そこから、もちろんいっぱい世界の情報が得られるし 興味のあることを探索できる けど 感性が鈍るようでならない とかいう私もこうやって文字を打つ時に 画面みてるわけですが でもね 日常の中の幸せってスマホの画面より けっこう目の前に転がってたり 見えなくても自分の頭の中にあったりするから その時間を見つめ直す方が僕はなんだか 幸せなような気がする 死にそうになった時はそんなことを考えも出来ないぐらい 身体が苦しく、痛くなったけど 痛みがとれ、症状がおさまった今 改めて自分の幸せな時間ってなんだろうなと 思い返してたら そんなことを考えてた 生きてるだけでもありがたいけど 生きてても幸せじゃなかったら それは不幸だよね 当たり前か 人は考えようで幸せにも不幸にもなる 生き物 ならば幸せを感じるようにすれば良い でもそれって当たり前のようで 簡単じゃない だから 身の回りの中から見つけ出し それを幸せと感じる心を持つことが 息苦しい現代には必要なようでならない まずはスマホの10分を 目の前のことに集中する10分に切り替えてはどうか それが今の私の日々の中の幸せのカタチが 浮かび上がってくるような気がする そんなことを動けぬベッドの上で スマホにメモしていた
作成日 : 2018-03-02 15:37:38
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とあるクリニックにて
本でベニクスノキタケという きのこの成分と同じアントロキノノールという 何やら抗癌作用があるというサプリメントを知りました。 その本の中では、海外での試験結果もあるとか その結果、効果はこうだと書かれていた。 「おぉ何やら効果がありそうだぞ うむうむ」 と告知を受けて、それほど経ってない私にとっては 魅力的な女性が突如私の前に現れたことが如く 飛びつきそうになってしまった。 「待って待って、そんなオイシイ話 飛びついていいのかしら?」 と悪魔の声と共に天使の声が聞こえてきたので 私は、手を出すにも本だけの情報で判断していいものやら… と思い その著者のクリニックに電話をし 直接相談をしてみることにした。 今日はそこで私が感じたこと 起きたことを書きたいと思います。 アガリスク、フコイダン、ブロコリ… 何やら癌に効くぞ! と 魅力的なアピールをしてくるサプリメントは 世の中にいっぱいあります。 効くと思えば効くかもしれないし 効かないと思っても効くかもしれない。 その効果は、正直私には分からない。 “やれるだけのことはやる”の精神でいくと やればよいのだが、全部飲むのも大変だ その手のものはもちろんお金もかかるし、 お金を考えずに全て飲んだとしても 「私にいったい何が効いてるんだ」 とか考えてしまう部分もあったり 正直何錠もの膨大なサプリを飲むのも大変だ さて、そのクリニックの話 東京にあり、私はいろいろ専門医の意見を聞きに 病院を周っている間の時間を見つけてそこに向かった。 雑居ビルのエレベーターに乗り 4階だか5階だかに降りる 何やらクリニックらしからぬ いや知り合いの家とでも言うべきドアがお出迎え ムムム 勇気を持って、ピンポーン ベルを押す どうぞぉと言う声と共に その一室のドアを開けた 中に入ると ドンッとそのクリニックの先生の大きな机 そしてその横にはベンチ 受付などない 熟年の看護師と50代ぐらいと推測される ファンキーな格好をした先生 2人体制のようだ 白衣からちらりと見える赤と白の ナミナミストライプのベルト! ズボンも赤で実にイカしている (別に褒めているわけではない) ファンキー先生と呼ぼう 私は一目見て勝手にあだ名をつけてしまった (人は見た目や格好では分からない 違和感あるけど気にするな俺と言い聞かせる) 雑然とした本棚に並ぶがんに関わる本の数々 私の趣味ではない、西洋絵画の入った額縁の数々 その両隣には、診察ベッドのある処置室兼相談室 もう片方には機器が並んだ部屋が存在。 私が話をしに行った時は 先におじいちゃんおばあちゃん夫婦が受診をしていた。 私はファンキー先生の隣のベンチに座り 並んだ本の中からおもむろに一冊を取り 本を読みながら待つことにした。 いや、実際には本は読んでるふりで 耳に神経を集中させ、その部屋の隣で行われる やりとりの一部始終を聞いていた。 やりとりは短く伝えるとこんな感じだ おじいちゃん患者 「先生、一発お願いします」 ファンキー先生 「今日は、退院した後すぐだからやめておきましょう。」 (この一発やるというのは、私が後ほど紹介される コロイドヨードというヨードを水素と結合させた液体を 扱った治療のことだと推測される。) おじいちゃん患者 「そうですか、じゃあ他に何が出来ますか?」 ファンキー先生 「じゃあ、これなんかどうです ゴニョゴニョ」 おじいちゃん患者 「それでいきましょう」 ということで、ゴニョゴニョと話のやり取りが行われ 処置室兼相談室から出てきて 私の前を通り 機器が並んだ部屋へ移動していった。 ちなみに部屋はドアが閉められておらず ツウツウなので、だいたいの声は 聞こえてくるわけなんです。 さて、機器が並んだ部屋では その間もやりとりが行われていた (中の様子までは見えない、あくまで声だけ聞いてます。) 看護師 「じゃあ、奥さんこっちを持ってください」 付き添いのおばあちゃん 「あ、はい」 看護師 「このあたりにお願いします」 おじいちゃん患者 「あちちちちちぃ」 何やら熱い様子だ 看護師 「先生 先生ぇ」それほど焦ってはいない 私の隣に座っている先生を呼び寄せる 看護師 「どうも熱いみたいでして…」 ファンキー先生 「熱いと言うことは効いている証拠です」 おじいちゃん患者 「は はい」 ファンキー先生 「もう少しずらしてみてあててみたらどうですか? それほど熱くないでしょ?」 おじいちゃん患者 「は はい」 時間を少しおいて おじいちゃん患者 「あちちちぃ 先生熱いッ」 ファンキー先生 「効いているの分かりますか?」 おじいちゃん患者 「は はぁ」 まぁそんな感じのやりとりを聞いていた。 何とも私には面白くて、何かと聞き逃せない なぜか、付き添いのおばあちゃんまでが手伝っているのやら 熱いと訴えるおじいちゃんの声やら そのやりとり そうこうしている内に私が呼ばれ 処置室兼相談室へ そこには、半開きの医療ごみ箱や 雑然と並んだ医療関係のパッケージ 何やら梱包材のごみが入ったゴミ袋がボンと置かれていたり 処置用ベッドに置かれたホワイトボードなど 私にとっては、初めて見る医療の現場だ カオスだっ そして、怪しい 怪しすぎるぞ 私はさらに思った。 そらそうである、入る前から怪しいと思っていた。 いや、ホームページみても 扱ってる機器も旧式のものが多い。 私は疑って見ているから 尚更だろう。 でも、ここに来ている患者さんは ここで治そうと信じて来ている。 だからそれを否定している訳ではない むしろ治るかもしれない… これはあくまで私の見方であり 感じたことなのでご理解いただきたい。 さて、話は私とファンキー先生との話し合いだ 一通りの私の医療情報や内容の話をして 病状を伝えた そして、私からは気になっている アントロキノノールについて質問を行った そのアントロキノノールの著書 ファンキー先生からは意外な答えが返ってきた 「アントロキノノールも良いけど コロイドヨードが良いよ」 ということ 「えっ?」 である アントノキノノールの内容は本で書いているし 読んでもらっているみたいだから 説明するまでもないでしょうとのこと… まぁ、もはやアントロキノノールという 口に出しても言いにくいサプリよりも コロイドさんが良いと言うのだから とりあえず話は聞いてみてみよう と (このあたりから私は、もはやこれはネタだ なかなか人が体験しえないネタだ と思って話半分に聞いている状況となる) そこからコロイドヨードについてホワイトボードも使って 図解しながら話が進む ふむふむ 何だか良いようにも聞こえてしまう 恐ろしいものだ もしかして本当に効く液体なのかもしれない それは分からない でも、私はこれまで そこで起きていること、聞いていることから 「よっしゃ 一発やりますか」とは思えなかった。 一通りの話が終え 「治療を行なうも行わないも貴方次第ですので よく考えて判断ください」 と そこまでグイグイと推してくるわけでもなく 受診を終えた。 どうこの状況を回避しようかとも途中から考えていたので そこは助かった。 私も「今日聞いたことふまえて また治療をお願いすることになれば 連絡いれるようにします」 とだけ伝えて ファンキー先生ルームをあとにした… まさかの展開である アントロキノノールではなく コロイドヨードを勧められるとは… かくして私は アントノキノノールは手にせず コロイロヨード療法も行っていない。 帰ってファンキー先生の本をパラパラと読み返した 前半に書いていることは がんに関係する本を読んでいる人は知っていると思うが ケリー・ターナー氏の本の内容であり (もちろん本の最初にその本のことについてふれている) その内容が、がん患者にとっては 非常に共感を覚える内容だけに 前半それを読むと なるほどと思うのだ。 それをふまえてアントロキノノールの話になっているから 脳は何だかこれ良さそうと思うわけだ。 また、試験結果などのデータもよく見ると N数が圧倒的に少ないと言うこと いろいろ私にとっては疑問点が 残る本だったということが分かった。 オレオレ詐欺ではなく 効く効く詐欺なんじゃないか とまで思った。 私はそんな風に感じ取ってしまったのだ (気を悪くされる方がいたら謝ります。 あくまで個人的な体験による、感想だと思ってください) だから、私は代替療法も全てを信じるわけでもなく 試せるものは試すが 何でもかんでもやるのではなく 信頼のおける情報を得た上で 自分が納得して行うことが大切なんだと思った そんなこんなでした。 がんを患うことで体験することって 今まで体験し得なかった こんな世界もあるんだなぁと思った。 別に面白がってやってるわけではない 至って真剣なのである。 ただ、その想いとは裏腹に こんな奇妙なこともあるということを 知っておいてもらえたらと思う。 ファンキー先生 ありがとう
作成日 : 2018-03-02 15:28:17
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子どもとの向き合い方
小話として一つ 書いてみます。 私はがんの告知を受けてから 一度、心理士の方に相談をしにいったことがあります。 何やら告知を受けてモヤモヤしていたので 特に事前に相談内容を持ち込まず 話をしにいきました。 ヒアリングから始まり、話をしていく中で 私が相談した内容が 「子どもにがんという病気のことを伝えるべきか?」 それを心の中でモヤモヤしていたのだと気づかされました。 私は、1歳の次男と4歳の長男がいます。 1歳の次男は、ハイハイしてるような、 まだ物事がさほど分からない状態なので それほど気にしていなかったのですが 4歳の長男は、少なからず お父さんが何故か今までいなかったのに、 家にいる時間が多かったり、 病院にいったりしたり 前と違い、変わったことを察知していたからだ 若干、不安定な部分も見受けられていた 心理士の方からは 「年齢も微妙なところだけど、そうならば何か感じ取っているはずだから、夫婦でよく話し合って、彼に話すべきか考えてはどうですか?」 ということと がんになった時の子どもとの接し方のパンフレットをもらい 相談を終えた。 私は、相談をして そんなことを悩んでいたんだ と気づいた。 帰って妻とも話をして、彼に話をすることにした また、パンフレットには ・お父さんががんという病気になったのは、あなたのせいではない ということ ・お父さんのがんという病気は、うつるものでもなく、怖いものではない ということ ・そして、お父さんやお母さんが困った時はちょっと助けて欲しい ということ 要約するとそんなことが書かれていた。 私は、告知後わりと早い段階のある朝に 彼に上記のような点もふまえて 出来るだけ分かりやすく、短く、目と目を合わせて 布団の上で話をした 彼は静かに聞いていてくれた うん とだけ頷いて、分かっていないところもありそうだけど 大方分かったような感じで 彼はすたすたといつものように電車遊びに向かっていった。 それから、彼がどこまで理解したのかどうか分からないが 私が病院に行く時も、 「今日も頑張ってね」とか「気をつけて帰ってきてね」 と普通に言葉をかけて 送ってくれる。 僕ら家族にとっては、言ってよかったと思う。 夫婦で病気の話をすると 「お話しないで」と今も彼は言う そら不安になるよね だから子どもの前ではあまり深刻な話や 込み入った話はしないで 夫婦二人の時間にすることにしている もっと、彼らが年を重ねていたら話は違うだろうが 今、私の家族にとってはそれぐらいがちょうど良いのだと思う。 私は 父親であり 患者であり 人である そんなことも考えさせられた。 でも、これが母親だったらもっと大変なんだと思う。 お母さんと子どもの関係はまた違うから… がんの専門の病院にいくと おじいちゃん、おばあちゃんが非常に多いのだけど ちらほら同年代の女性も見受けられます。 ちなみに同世代(30)の男性に会うことは滅多にない。 同世代の女性で子どものいる方もいるだろうし 夫婦だけの方もいるだろう ただ、病院には感染や免疫の観点で子どもを連れて来ない方がよいので、子ども同伴というのは見かけません。 だから、その人たちが子どもを持つ家族かどうかは分かりません。 でも、お母さんががんになったら 亭主関白宣言のような旦那ではなく 出来るだけお母さんをサポートする旦那でいて欲しいと思う。 子育てとがんとの闘いは並大抵の負担ではないと思うから。 夫婦や家族のバランス そのバランスを保つことも試されているように思います。 そんなこんなです
作成日 : 2018-03-02 15:24:40
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治療歴
まずは私の自己紹介がてら 治療歴は以下となります。 2016年12月 ・健康診断のX線レントゲンで影あり、再検査。 CT検査で縦隔腫瘍の疑いの診断。 大学病院にて、組織検査を勧められる。 2017年2月 ・組織検査、脳MRI、PET検査の結果 肺腺がん Ⅲbと病理診断。 化学療法+放射線治療を勧められる。 ※会社を休職し、生活習慣を改めること。 また、代替療法として、食事療法や栄養補助 免疫力を高めることを積極的に行い始める。 2017年3月 ・各専門領域の病院を巡り、セカンドオピニオン外来にて 治療戦略を構想。 2017年4月 ・手術の日程調整中、心タンポナーデ発症 心嚢水の中に癌細胞有り。癌性心膜炎と診断。 ステージⅣへ (東京:KGC病院) 2017年5月 ・免疫細胞療法+温熱療法(ハイパーサミア)の開始。 (東京:TKクリニック) 2017年6月 ・外科手術にて、がん細胞を摘出。 大動脈部のがん細胞は摘出出来ず。 (東京:KGC病院) ・併せて、自家がんを用いた免疫細胞療法を行う。 (東京:TKクリニック) ・摘出した病理組織診断の結果 肺腺がん ステージⅣと確定 EGFR、ALK、ROS1:陰性 PD-L1発現率:1パーセント未満 2017年8月 ・6月から8月末まで免疫細胞療法を行うも 2回目の心タンポナーデを発症し 緊急入院にて、ドレナージ処置を行う。 (滋賀:SI大学病院) ・血管カテーテル治療も検討 (大阪:Iクリニック) →ルートとなる血管が細く、不適応 2017年9月 ・愛媛に滞在中3回目の心タンポナーデを発症し 緊急入院にて、ドレナージ処置を行う (愛媛:EC病院) ※近畿大学クリニカルシーケンスの結果 HER2:陽性とのこと (肺がんにおけるHER2の 保険対応の治療はこの地点では無し、 自由診療もしくは治験の対応となる) 2017年10月20日-11月14日 ・4回目の心タンポナーデを発症し 心嚢部へのOK-AIT治療 (ピシバニール投与+リンパ球の投与)を行う。 (京都:Kクリニック) 2017年12月13日より ・カルボプラチン+アリムタの 化学療法4クールをスタート (京都・K大学病院) 2018年3月より ・アリムタ単剤での維持療法スタート (京都・K大学病院) 現在、復活に向けて治療中です。
作成日 : 2018-03-02 15:21:58
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はじめまして
キャンサーペアレンツには 以前に登録はしていたものの ご無沙汰しておりました… これまでの治療やがんに関係する話などは ブログで日記を投稿しておりますので そちらで継続して書いていこうと思いますが こちらでは子どもを持つ親の患者として 関係しそうな投稿を残しておこうかと思います。 どうぞ皆様宜しくお願いします! ブログ https://ameblo.jp/hamk23
作成日 : 2018-03-02 15:15:40