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じゅんじゅん(50)
新潟県 / 胃がん / ステージ3日記
おはようございます(^^)
今日朝からトイレにこもっています(^^) 全摘なので、食事に時間がかかるのと、時折詰まり辛い時もあるし。よく噛むことを怠ると直接影響します。そしてがんばって食べると反応してすぐトイレにととても忙しいです!みんなはどうしてるんだろうと。何を食べて、辛い時はどう対処してるのか? よかったら教えてください! 自分は食べれるのは、一番はバナナかな(^^) 最近はモロヘイヤ食べてます!おひたし、麺つゆ、鰹節で美味しいですよ(^^)
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さとママ(48)
富山県 / 卵巣がん / ステージ3日記
リハビリ 家族で自宅へ
前回のはじめまして日記には、たくさんの皆さんのありがとうやコメントをいただいて、とてもうれしかったです! ありがとうございます。 こうやって仲間がいること、つながれること、本当に心強いです。 このサイトがあることにあらためて感謝です! 現在、私の実家で家族で居候しています。週末は久しぶりに(入院してからだから2ヶ月ぶりに)家族4人で我が家へ帰りました。一泊二日ですが(^o^;) 虫取りにプール、バーベキューに花火…盛りだくさんの2日間。 私はまだ体力がなく、見守る程度でしたが、子どもたちと一緒にはしゃいでいた旦那さん。 当たり前に家族で過ごせること、当たり前じゃない、大切な時間。 病気がわかる前は、『早く‼』『早く‼』が口癖だった。 交代勤務だったので、早番のときは6時半前には子ども達を準備させ一緒に出発。遅番のときは9時になることも。とにかく毎日せかして、こなして記憶にないくらい余裕のない生活をしていました。 いつもニコニコやさしいお母さんとはいきませんが、今は子どもの話にしっかり耳を傾けたり、うんうんと付き合ってあげたり、できるだけしていきたいと思います。 今週は月曜日祝日のため、抗がん剤はお休みです。今のうちに食べて動いて体力取り戻さないと!
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のりこ(48)
東京都 / 乳がん / ステージ4日記
私が代わりに
愛する誰かが辛い思いをしてたら、「代わってあげたい」と思うもの。 私がガンになっちゃったのは、我が子の代わりなんだと思うようにしました。 愛する我が子がかかったガンを、私が代わってあげられたんだ。 よかった!この子が苦しまなくて済んだんだ。この子が今日も笑っていられるのは、神様が病をこっそり私に移してくれたから。子供を救ってくれてありがとう!神様。 心がスーッと晴れた気がしました。
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さとママ(48)
富山県 / 卵巣がん / ステージ3日記
はじめまして。
今日から日記を書くことにしました。さとママです。 みなさんの投稿やコメントを見て、いつも励まされたり勇気をもらっていました! 私も勇気を出して投稿します。 2ヶ月前の5月、まさかの病気発覚。卵巣がん、腹膜播種もあり手術では癒着がひどく取りきれず、今は抗がん剤治療中です。 3歳と5歳の子どもがいます。家族で私の実家に居候中です。 とりあえずの目標は上の娘の卒園式に出ること! 先のことを考えると不安で落ち込むこともあるけど、今の治療を信じて毎日を大切に過ごしていきたいです。 どうぞよろしくお願いします。
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sarah(52)
東京都 / 乳がん / ステージ4日記
やっとわかった病名!
私の乳がんは胸にしこりが確認されなかた為に初診から病院を転々とし、最後に紹介された都立駒込病院で背骨の生検によって、乳がんと判定されました。 それまで、6ヶ月の間背骨の痛みは増すばかり、背中に何か腫瘍はあるけど、全身探してもみつからない。 早くに病院に行き、初期に切れば治る。そればかりが当たり前でない事。いきなりステージ4となる場合もある事を知らせれました。ただその時は病名が分かっただけでうれしく、この後の事など気にしていない自分がいたのです…
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ぴくるす(44)
香川県 / 大腸がん / ステージ3日記
皆さんから教えられたこと
4月末から保育園の申請をして、未だ待機。 悲観ばかり、現状を嘆いてばかりでした。 言わなければいけない事、伝えて残さなければいけない事がたくさんありますね。 私はとても弱虫で伝える勇気がなかったです。 今日、高松市ホームページ内の市長さんへの提言フォームでメールを送ったり、高松市の子育て支援課にメールをしてみました。 読まれはしても、何にも先に進まないかもしれないけど、私は一つ進んだ気がします。一つ大人になった、じゃないけど、一つ勇気を出せた。 CPを知ってよかった。設立者の方には本当に感謝です。 でも1番は、コメントでアドバイスしてくださる方や共感してくださる方々。 心強さを感じます。 あんまり喜ばしい仲間じゃないけど、仲間って凄い力があるんだなと感じました。 みなさんありがとうございます!
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のりこ(48)
東京都 / 乳がん / ステージ4日記
ここからまた出発!
卵巣摘出が無事済みました。「明日退院ねー」なんて言われたので、実質4泊5日の入院。思ったより早かった(*^^*) 手術っていう大仕事が一つ終わって、なんとなく晴れやかな気持ちだけど、いやいや、これから新たな治療の始まりなんだって気づいて、ちょっと苦笑。 さ~て!骨転移。進行止めなきゃ! 骨転移したこと、友達には誰にも話せてません。転移なんて絶望的な響き過ぎて、気を使わせちゃうのが嫌で。だから、ここのみなさんの心の声を知ることが出来て、ひとりじゃないなあって思えています。ありがとう。私を助けてくれて本当にありがとうございます。
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ぴくるす(44)
香川県 / 大腸がん / ステージ3日記
4クール目 さようならXerox療法 はじめましてTS1
6/30 4クール目 前回からゼローダを合計4週間休薬。おかげで手は治って来た。 しかし主治医に薬変えましょうかと言われる。 休薬を長くするよりは定期的に薬を入れる事が重要のようで。 Ts1を飲むことになる。 ゼローダ…色々揃えたのに… 化学療法室で点滴ももう終わり。 末梢神経障害とさようなら出来るのは正直嬉しい。 一番の悩みの手足症候群、Ts1だと軽いとのこと。その代わり色素沈着や吐き気、下痢、口内炎で悩むかもしれない。 主治医は若い先生なんだけど、手足症候群のせいで家事もまともにできず子供の世話も辛いと嘆いたことがあり、それを真剣に考えて色々調べた上での薬変更の提案だったと看護師さんから聞いた。ありがた過ぎて涙が出た。 昨日の都市伝説のあばれる君風に言うと 信頼、せざるを得ません。です。 と言うわけで 4週間の投薬、2週間の休薬合計6週間を1クールとし、6クール受けないといけないけど前半のXerox3クール分を配慮し、当初の予定の秋まで、飲み続ける事に決まりました。 どんな副作用出てくるかな…
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いちはーチャン(38)
岩手県 / 急性リンパ性白血病/リンパ芽球性リンパ腫 / 寛解日記
地固め 2回目
さぁ、明日から地固め2回目が始まります。ルンバールもあって気が重いです。 今回、入院した日にマルクをしたんですが今までで一番痛くて、ひっそり泣いてからテンションが上がりません。主人に電話して、帰りたいとわがまま言いました。 さっき、無菌室の前室に夕飯のお膳を下げて戻るとき、病室の自分の名前を見て、なぜか突然、絶叫したくなりました。 受け入れたつもりが、やっぱり悔しくて。どうして私が白血病になったのか。 どうして、子どもたちと会えない日々を送らなくてはいけないんだ。 私は、今までの人生、そこまで悪いことしたのか。 一旦乗り越えたと思っていた気持ちが溢れて溢れて辛いのです。 移植についても医師から話があり、不安が増幅しているせいもあるのかな。 私は、生きたい。 移植は命に関わるリスクがあるけどやらなきゃ長生きできない。 31歳。 まだ死にたくない。 この叫びたくなる気持ち、どうしたらいいのでしょうか。 子どもたちの事を思うと、もう辛くておかしくなりそうです。壊れそうです。 いったい、何回号泣したら受け入れ前向きになれるのでしょうか。
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のりこ(48)
東京都 / 乳がん / ステージ4日記
明日手術です
はじめまして。 今日入院しました。明日卵巣摘出の手術です。 4年前にステージ2の乳がんが発覚。右乳房全摘出しました。 完治に向けて、今までホルモン治療を行ってきましたが、今年の5/31に骨転移が確定しました。一気にステージ4です(′︿‵。) で、女性ホルモンの生成をできる限り止めるため、明日卵巣摘出です。 これで進行が止まってくれればいいけど‥‥ この1ヶ月、死の恐怖に押しつぶされそうです。 子供が学校行ったあと、枕に顔押し付けて大声で泣く毎日。でも、泣いた後は、不思議なことに少しスッキリ。 暗い気持ちから早く復活したいな。
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ぴくるす(44)
香川県 / 大腸がん / ステージ3日記
2クール目 5/12
手足症候群で手が痛くて痛くて。 でも上の写真の手はまだマシな方だと後から思う。汚いけどまだ綺麗。笑 2クール前に一度、手に塗るステロイドもらいに外来に行き、 救急時に造影剤なしのMRIで大腸がんを見抜いて造影剤のMRI撮ろうと諭してくれた先生に当たる。 40代くらいの先生で、本当に優しい先生でした。 手の荒れや顔の色素沈着をよく見てくれて、2クール目はゼローダ減らしてもらいなさいって言ってくれました。 診察終わって救急の時のお礼が言えて本当に良かった。この先生いなかったら私帰されてた。小腸破裂してた。腫瘍も腸壁ギリギリだったから飛び出してたかも。私の運命を分けた人です。 そして2クール目、手の荒れがひどいので、さらに1週間休薬になる。 この日は岡山の友達が来てくれて子供の面倒を見てくれていた。 私は香川県なので、瀬戸大橋渡ってまで来てくれた。ありがとう、本当にありがとう。助かります。 子供は一時保育に行ってるのだけど、人数制限もあるし、前月に予約しないと預けれないため5月は大変だった。 このままでは色々と大変なので、治療の間は保育園に入れようと思い市役所へ登録しに行く。 条件が厳しくて、入れそうになかったので主治医に一筆書いてもらう。 しかし、未だ入れず。待機児童が多いそうで。 愚痴ですが、私のような副作用でゲーゲー言ってトイレで過ごす時間も多いし倦怠感でろくに動けず点滴したところは血管が炎症してしまいボコッと腫れて触れられるだけで痛いのに、子供を見てくれる所がないとはどういうことか。 地域は助けてくれないのか。もっと重症な患者じゃないと預かってくれないのか。 前に保育園に入れないお母さんが、私が死ねば子供を預かってくれるのかみたいなのが取り上げられてて、悲しくなったが、 今まさに私も思う。 私が死ねば入れるのか、もしくは余命宣告でもされれば受け入れてくれるのか。 これくらいで死ぬとか余命宣告とか言ってはいけないのは良く分かる。 でも、見放されたようなとても辛い。 「あなたはたいした事ないんだから、もっと大変な人はたくさんいるんだから」 と言われている気がする。 2歳なんてね、聞き分けてくれないんですよ。 まま痛い痛いよ~と言ったってね、飛びついてくるんですよ。痺れてる腕にぶら下がってきたり、吐き気で横になってる所馬乗りにされたり髪の毛引っ張って起こそうとしてきたり。 悲鳴を上げながら逃げて布団にかくれたって、彼からしたらそれはかくれんぼなんですよ。 手を挙げてしまうこともある。私は立派な大人じゃないから。 智尋は全く悪くないのに、私の体調で怒られたり泣いたりしてる。 本当に申し訳ない。本当にごめんなさい。こんなママでごめんね。
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かずえ(46)
岩手県 / 大腸がん / ステージ4日記
夫の意思と妻の葛藤
今日は夫の抗がん剤投与の日。 病院へ送り届けたあと、私は下チビの保育参観へ。終わったら午後から仕事へ行きます。 本当は夫と一緒に診察に入りたかったんだけどね… 働かないと暮らしていけないし。 未だに葛藤しますよ。 家のローンがなかったら夫も具合が悪いのに無理して会社に行かなくてもいいし、いっその事家を売り払った方がいいんじゃないかと。 しかし夫の答えはNOなんだなぁ。 色々悩んだけど夫の意思を尊重する方向で行くことに決めたんです。 本当はこんな田舎の病院じゃなくて、もっと設備の整った病院に掛かるべきなんじゃないかとかね。 車で二時間も走れば大学病院があるんです。 でもやはり夫の答えはNOです。 今日からまた抗がん剤の副作用に苦しむ毎日…
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ぴくるす(44)
香川県 / 大腸がん / ステージ3日記
1クール目 4/21 Xerox療法
初めての事だし、弱冠楽しみにしてた私。 初日という事で夫が休みを取ってくれて、子供と3人で病院へ行く。 オキサリプラチン点滴中から腕の痺れを感じる。 途中トイレに行ったのだけど、トイレのドアノブ触って悲鳴をあげる。 病院のお会計でびっくりする。45,000円ほど。 帰りにカレーが食べたくなりココイチへ。 常温のお茶を無意識に飲みその場で吐き出す。ココイチのドレッシングも触れず、サラダは食べれなかった。 車に乗ってる途中、顔面の筋肉が痺れ出す。まぶたが勝手に閉じてくる。口がすぼんでくる。 薬を取りに薬局へ行き会計に再度びっくりする。15,000円ほど。 1クール目は朝夜ゼローダ5錠づつ、計10錠。 点滴から4日は吐き気どめを飲むので便秘になる。それ以降はゼローダのお陰で水便。トイレに何回も駆け込む。 手足の痺れは1週間続く。 寒冷刺激も1週間。 常温の物を飲み込めるまで2週間かかる。 スーパーを一周回れずカートの手すりにもたれかかって休む事が多い。 体重が2キロ落ちる。 二週間目、風邪をひく。 鼻水がすごいのでかんでいたら、鼻の下が茶紫になる。色素沈着も進む。 手足顔がどす黒くなる。 三週間目の休薬日で手が荒れ始める。 手の硬化、ひび割れ、むくみ、痛み、全て味わう。 倦怠感と、まともに家事が出来ない事にイライラする。 上の写真は安心しきった寝顔。ちょうど点滴後のためかなり痛むのを我慢した。まぁこの後すぐに腕外したけど。笑
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かずえ(46)
岩手県 / 大腸がん / ステージ4日記
お初お目にかかります~その2
たくさんの゛ありがとう゛やコメントをありがとうございます。 個別にお返事差し上げたい所ですが、私先月転職したばかりで毎日がてんやわんやなもので(汗)申し訳ございません( ゚ε゚;) 前回の日記で、夫は昨年主治医から余命一年と宣告されたと書きました。 体力的にもこれ以上の抗がん剤投与は無理と。 当時はあと半年持つかどうかとも言われていたのです。 そこで私はインターネットで色々調べました。 自宅はネット環境が無かったので会社のパソコンで(汗)←わたし当時は事務職してました。 そして県外の某大学病院にセカンドオピニオンする事を決断したのです。 その大学病院の先生は、 「見た感じまだ体力ありそうだしまだまだ抗がん剤いけますよ。コレコレこーゆー抗がん剤の組み合わせがありますから、掛かり付けの病院にこの紙持ってってみてください」 と、サクサクっと抗がん剤続行が決まったのです。 そして夫は抗がん剤しながら余命一年を超えて今も会社へ通っております。 体調は良くありませんが。 むしろ体調がいい日なんてほぼ皆無…
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ぴくるす(44)
香川県 / 大腸がん / ステージ3日記
覚書 その後
4/14 夫と腫瘍の病理検査の結果を聞きに行く 上行結腸ガン ステージ3b リンパ節12/25転移 臓器に転移はなし なので根治、ただしXerox療法は受けた方がいいので1週間後から始めましょうとのこと。 看護師さんが話をたくさん聞いてくれた。 私と一緒に泣いてくれた。 不安しかない私に沢山希望があるよと言ってくれた。 その後、点滴で通院のたびに待ち合いで声をかけてくれる。 副作用を頑張れる一つの理由は、この看護師さんや気を使いまくってくれる薬剤師さんや、他にもたくさんの人が頑張れと言ってくれるから。期待されると頑張る単細胞な私。笑 退院後は私のお婆ちゃんを呼んでご飯の支度やちひろを見てもらう。 80歳なのに…頼られて嬉しい反面大変だったと思う。足も不自由なのに。 ごめんね、ありがとうお婆ちゃん。 実母は、緊急手術から一度もお見舞いや自宅には来てくれなかった。 電話も一度きり。 何故かと言うと、妹の2人目の出産とかぶっていたから。 私の退院後4/6に無事産まれる。 その後母は、仕事をしながら新生児の世話から、上の2歳女子の世話やらで多忙に過ごす。 理解はしてる。母には一度きりの電話の時に妹についててね、大変やけど頑張って。と言った。 不安な時や寂しい時、お母さん…と泣いた日も多々ある。 でも私お姉ちゃんだし出産には勝てんわーと割り切ってたし、妹大好きだし、ほぼ毎日妹に連絡してたし。まだ産まれんのかー?って。心待ちにしてた出産、私も手伝いに行く予定だった。 でも本当は寂しかった。 自分の身体と見えない未来が怖かった。 出産という素晴らしいイベントに参加したかった。お手伝いして喜びを分かち合いたかった。 心細さと無念に1人泣き。 4/21 いよいよXerox療法1クルー目が始まる。
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かずえ(46)
岩手県 / 大腸がん / ステージ4日記
お初お目にかかります
夫ががん患者です。 今から5年前、次女が産まれる一月前に大腸がんの切除手術を受け、4年前の長女が小学校に入学して間もなくの頃に肺への転移が分かりました。 それからずっと抗がん剤治療をしてきましたが、昨年の6月に肺炎、胸膜炎を発症し主治医から余命一年と宣告を受け。 あれから一年が経ちました。 夫は今も抗がん剤しながら仕事へ行っています。 体調は良くありません。 頻繁に嘔吐し、食事もままならずかなり痩せました。 咳と痰に悩まされ布団で眠れなくなりました。
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ぴくるす(44)
香川県 / 大腸がん / ステージ3日記
覚書 3月30日 緊急手術
2018年の年末から年明けにかけて胃の辺りに痛み 近所の病院にてMRIや胃カメラ検査で慢性胃炎と診断される。 胃炎にしては痛みもひどく痛み止めの点滴も効果のない日があった。 氷食症がひどく常に氷を食べていたので、同じ病院に行き血液検査 極度の貧血のため薬を処方される 2019年3月30日 昼ごはんを食べた後、激しい腹痛と嘔吐 赤い水便 (子供が一時保育だったので私はカップラーメンを食べた。カップラーメンが辛い系だったので、食当たりと赤い水便はラーメンのスープだと思った。) 迎えの時間16時になっても痛みは引かず。しかし身内は全員県外、私に友達もいないため決死の思いで迎えに行く。今思えば車の運転は危なかった。でも仕方なかった。 19時、夫に早めに帰って来てもらい、子供を任せる。 動かないほど痛みが強まる。5分〜15分痛みが和らぎ、その後激痛が来る。それをずっと繰り返して流石に耐えるのが辛くなる。 夜間病院を考える。 23時、痛みに耐えタクシーで夜間病院に行く。閉院だった。 タクシーのおじさんが見兼ねて別の夜間救急を探してくれるも、病状を伝えたら断られた。なので自宅へ泣きながら帰った。 (症状を伝えてもお医者様が救急ではないと判断されたんだろうな、と思った。) すごく心細く、明日の朝またいつもの病院に行こうと考えた。 3月31日 0時過ぎ、痛みは変わらず、疲れと眠気で意識が朦朧としていた。夫が日赤に連絡してくれ、受け入れてくれるとの事で旦那のおんぶで車に乗り込む。子供は寝ていたところを起こされ一緒に車に。 救急車を呼ぶべきだったかもしれない。 3時ごろ MRI、血液検査、触診などなどの結果異常なしと言われる。 痛み止めの点滴も効いていたし、普通に動けていたので、点滴が終われば帰ってもいいと言われる。 これは胃炎の痛みなんですか?と何となく聞いてみた。多分この言葉で帰ってよしと判断した救急の先生も気になったのか、ほかの先生と相談しだす。 胃のあたりが痛いのに、なぜか右下腹部をエコー検査しだす。腹水が溜まってるとかなんとか。胃だと思い込んでいたので意味のわからない検査に疲れて早く帰りたくなった。 4時 外科の先生が突然やってくる。 造影剤を使ってMRIを撮りましょうと言われるが、まだ授乳中だった私は断った。 外科の先生が怖い顔で生死に関わるかもしれないので。と静かに言われて承諾。 現実味が全くなく、元気で歩けるのに車椅子で移動される。初めて車椅子に乗った。 5時 夫と抱っこで寝ている子供と一緒に検査結果を聞く。 上行結腸に腫瘍がありそこから腸閉塞を起こし、小腸が破裂寸前とのこと。 腹部右下の腹水らしきものは血のようで、もう血が漏れてたらしい。 一気に怖くなるが自分の体の事とまだ理解できなかった。 6時 緊急手術 5時から6時にかけて外科の先生2人、麻酔の先生、救急の先生と入れ替わり立ち代り忙しかった。また親に電話もした。お父さんは出たがお母さんは起きなかった。 もし術中に死んだらと怖くなった。 車椅子で手術室に入る。子供がさすがにママ〜と泣いた。私も泣きそうだった。 全身麻酔の前に鼻からチューブ通すのが嫌でたまらなかった。胃カメラでこりごりなのにーと時計を見ながらオエッてしてたら意識がなくなった。6時45分頃だった思う。それか45秒。 9時 麻酔の先生に、はい!起きてくださーいと肩を叩かれて覚醒。 びっくりするほどの痛み。 やばい、痛い、寒い、痛いって呻いてたら背中に入ってるチューブの痛み止めを増やしてくれたようでまた意識を失う。 夫が集中治療室に来てくれたのを覚えてる。その時には私は口についた酸素送るマスク?が邪魔でのけようとしたらほっぺがヨダレだらけだったって言うどうでもいい事を覚えてる。笑 とりあえず夫は安心した顔をしていた。