南
自己紹介
2019年5月腹膜播種、尿管浸潤、スキルス胃癌
抗がん剤で延命中
(Folfox)
応援している会員は145人です
応援している会員
年齢
32
性別
女性
住まい
宮城県
病種(大区分)
消化管
病種(小区分)
胃がん
病種(備考)
ステージ
ステージ4
告知年月日
2019年06月06日
通院・入院先の病院
大崎市民病院
現在の状況
入院治療中
治療歴
抗がん剤
職業
主婦(夫)
配偶者
有り
こども
女性 / 12歳
女性 / 10歳
女性 / 6歳
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投稿
今日の気分
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お手伝いについて
前回の日記にママさんたちの反応がいただけてけっこう嬉しかったり☺ 告知当初は病気のこと以外はなんにも考えられないような状態でした。 告知から半年たった今は末期ガンといえど意外と子育ての悩みが以前と同じように出てくるんだなあと。 最近は残された少ない時間の中に色々詰め込むように生活することも無くなり、ぼやぁっと過ごしています。 ただ半年後生きてるか分からないことだけは常に念頭に置いて。 痛いの苦しいのはやだなあ〜?
作成日 : 2020-01-12 19:58:35
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お手伝い
年末の冬休みはいったあたりからずっと土曜日はお掃除の日。 掃除をするのは私じゃなくて子供(笑) マジな話ごはんを作る以外にわたしなーんにもしてません! 仕事してないのに病気を理由に三女は保育所だし二番目も幼稚園の延長出してるし上は小学生だし! そんな感じなので土曜日くらい真面目に子供を見てると思いきや掃除させてます! 遊びに来た小学生のお友達も雑巾持ってトイレ掃除させられてる長女をみて 「えっ、、、お母さんがするんじゃないの、、、」 とドン引きしてましたね!そりゃそうだ! 最終的にはその子も一緒にリビングの雑巾がけをしてました笑笑 わたしは優雅にピアノで遊んだりこたつに寝転んで指示するだけ〜☺ ご飯を食べる時も長女と次女は三女の世話をしながら大人のテーブルの横に小さいちゃぶ台で食事。 かーちゃんは「こぼしたらおしりふきで拭いてあげなさいね〜☺」と優雅にゆっくりお食事。 お風呂も子供3人で入って、三女の着替えとオムツ替えもお姉さん達担当。 朝も長女が三女のオムツをまず替えて自分たちで納豆やら海苔やらふりかけやら出してご飯を食べながら三女にも食べさせる。 元々なんでも本人たちでやらせてきたので、そこに本来ママの業務である三女の世話やトイレ掃除等が入ってきても違和感(異論や文句?)もないようです。 あとはかーちゃんの指示なしでできるかどうか。 いよいよ死に支度が整ってきたなあ。 唯一かーちゃんにしか出来ないことといえば公文ピアノの送り迎えとママ友とスケジュール調整して子供たち同士を遊ばせることくらい。 特に後者はパパがおそらく、というか絶対出来ないことを子供たちもわかっているからかーちゃんの言うことをハイハイ聞いて大人しく掃除させられている、、はず笑 田舎は家々の間隔が広すぎて自転車をもたない小学生は放課後にお友達の家で遊ぶなんてことがまずできない?? 田舎あるある。
作成日 : 2020-01-11 13:56:51
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無題
ひとりまたひとりそれとなしに経過を追っていた人がなくなっていくのを見聞きする度やっぱり自分も死ぬんだなと改めて自覚 イノマーさん、辰兄、八千草さん、、、 継続して読んでいるブロガーの方も体調が悪くなってしまっていたり、気づけばそれきり更新がなかったり、、、、 人間の致死率は100%、地球とか宇宙とか大きい枠で見れば人の死に深い意味なんてない、そう思いたいのに自分の死は1回きりだからうまいこと割り切れない? みんな今をなるべく長く楽しみたいだけなのに上手くいかないこともあるもんだなあ 未来感のあるCMで「病気で死なない未来がやってくる」って女の子が言ってたけどほんとかな 子供たちが大きくなる頃にはそうなっていればいいなあ できれば子供たちの大事な人、そのまた子供たちも長く長く人生を楽しめる未来でありますように☺ あと子供の時分から苦労ばかりしょって生きてきたパパがもう面倒事に巻き込まれませんように!!!!!←最重要(笑) 嫁が末期ガンになったとおもったら会社の会長と社長が喧嘩して分裂して会長側に残留したらしたでその会長が入院、、、 ようやく戻ってきたと思ったら会長の目が悪くなってて事務仕事できないからサポートどころかほぼ社長職? 前から思ってたけど本当にパパの家系って男の人がめちゃくちゃ苦労する家系なんだよなあ、、、 とにかく運が悪い(笑) 自分が言うのもなんだけれども特に女運が悪い。 これは間違いない? /// ママ友から誕生日祝いにとっっっても美味しい苺をもらって歓喜、、、 子供たちもみんないちご大好きだからもう3パックなくなってしまった? 残り1パック、、、 ママ友といっても20年前から顔見知りだからママ友というよりほぼ親せきみたいなものでしょうか。 いつも遊んでもらったり送迎してもらったり実の親よりお世話になってるような? 友達もママ友も全然多くないけど少数精鋭でみんなすごくいい人。 来週末には先輩兼幼稚園のママ友となんかする会の予定。 鍋かな?パン作りかな?☺ 内輪でなにかする時はただ目的もなく集まるのではなくてなにかメインを決めて集まってます。 直近ではプラ板の会とパンケーキの会? 大人が子供に交じって真剣にプラ板、、、(笑) みんな私を記憶に残そうとして頻繁に遊んでくれるのがちょっと泣けてくるけど記録より記憶に残る感じでいかせてもらいます!
作成日 : 2019-12-22 00:36:43
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年の瀬です
半年前は9月あたりで死んでる予定立ててましたがなんとか誕生日迎えて28になりそうです。 平均余命からすると最後の誕生日だそうです。 日本の平均寿命よりめちゃくちゃ早くに死ぬことになってるらしいけど、今までもらったものとか主に気持ちを少しでも返していきたいと漠然と考えています。 私が死んだら子供が友達と学校以外で遊ぶ機会がなくなると思ってのことだから返してることにはならないかもしれないけど、地域の子供たち集めてプラ板したり何やかんやしたり。 毎週のように誰かしら誘ったりしてるからそろそろ迷惑がられてるだろうなあ? 大人にはなんにも返してないような、、笑 それどころか接する人の殆どに病気公表してるおかげで色々気遣ってもらうことしかなくてなんだかなあ。 返しきれないじゃん!と内心キレながらありがたい気持ちを摂取☺ そしてそして。病気がわかって一旦ピアノを辞めさせた長女に私のわがままで復帰してもらいました。 来週は1年ぶりに?調律きてもらいます。 最後の調律だろうなあ〜 先生のはからいで本来3ヶ月ぐらい前から曲決めて準備しなければいけないはずの発表会にも仲良しのお友達と連弾で出してもらえることに。 あ〜最後の発表会だなあ〜笑 なんでもかんでも「あ〜最後だな〜」と思って取り組んでるのでいちいち心が辛いことのほうが多いけれどやらないよりやった方がいい、、はず☺ 週末に末子が2歳になるんで日曜日はプレゼントと称しアンパンマンミュージアム。 長女がアンパンマン信者だったときは3回いったかな、、 次女は入信しないままだったので行かず。 末子は無事入信? インフルとノロにおびえながら行ってきます。 あ〜最後のアンパンマンミュージアムだなあ〜笑 +++ 早くに子供産んだおかげで接するどのコミュニティでも最年少くらいだったけどCPの中でもそんな感じだから同じステージでも子供が大きかったり年上の人が正直羨ましくて仕方ない? 同じ病気だけど、この方の年齢まで生きられてたら子供も〇歳だったんだよなあとか考えても仕方ないことを考えてしまいます。 庭いじりと家庭菜園が日課で土まみれシワまみれシミだらけ白髪だらけ腰曲がりのきったねえクソババアに心底なりたかった。 ど田舎だし美容興味なしだからきっとそんなクソババアになって定年後ぼーっとしてる旦那のケツ叩きながらああでもないこうでもない喧嘩しながら生きてくんだと思ってた。 年取った友達とお茶飲んで旦那の愚痴いって温泉旅行にバスでいったりなんかして。 旦那さんに車椅子おされてる白髪でガリガリのお婆さんや娘さんに連れてこられた杖ついたお爺さんが羨ましくて羨ましくて通院の度泣きそうになります。 まあしゃあない! 貰ったものを返したいのは生きてる人だけに限らない。 先にあちらに旅立った人たちにも返したいものはたくさんある。 高校生のときに膵臓癌でなくなった親の取引先の社長さん。 小さい時からお世話になってて、困ったことがあればなんでも言いなさい、南ちゃんは頭がいいからこっちの高校に進学して下宿しなさい、とずっと言ってくれていた。 社長がなくなってから孫ちゃんは4人もふえて合計7人。 奥さんは2回乳がん(どちらも初発)してたけど、早期だから心配ないよ。 妹は社長がそっちにいってすぐ大きい病気したけど、何回も奇跡起こして今は落ち着いてるよ。 私は子供3人もいるし、もう1人の妹も結婚して子供いるし、みんな私以外は元気!笑 たくさん報告しなきゃいけないことがあるなあ。 馬鹿だからメモしとかないと、、火葬の時に一緒に燃やして欲しい笑
作成日 : 2019-12-10 15:17:51
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みなさんげんきよく
妹が致死性不整脈で救急車で運ばれて入院してから1週間たった。 人工心臓とペースメーカーをつけているおかげで脈が250と5をいったりきたりしてても平然としている妹を見て救急隊の人はびっくりしていたらしい。 ペースメーカーはまだしも人工心臓は県内で10人くらいしかつけてないから仕方ないよなあと思いつつも、こういうのがままある病気だから医療関係の人にはペースメーカーやストーマ的な知識のひとつとして知ってて欲しいなという姉心。 でもなんかあったとして大学病院でしか対応できないし知ってたところでって感じもする、、、 今回はとりあえず電気ショックでなんとかおさまったから薬をMAXまで増やして経過観察の入院。 安定できれば退院、しなければ移植まで入院。 自分が死ぬまでは家で一緒にゆっくりできるかなと思ってたのになー。 8年前に妹が病気になってから色々、本当に色々あったけど妹が家にいられる体調のときは大体一緒にいた。 生きるか死ぬかで体力もなく車椅子でいつ入院するかもわからないから働き口もなく学生のときから自宅療養を余儀なくされているおかげで、多分自分らの親よりも一緒にいる時間が長かった。 臨月だっていうのに一緒にカラオケにいったり。 毎日夕飯一緒につくったり。 お互い無職だから普段は控えてたけどたまに2人だけで外食したり。 子供の宿題も率先してみてくれたね。 親やパパや子供の愚痴たっくさん聞いてくれた。 自分もずっと体調優れないのに私が少しでも体調崩すと誰よりも世話してくれた。 子供たちが怪我したり風邪ひいたりした時に不調を訴えるのはパパや私じゃなくて、長年の経験から(笑)まともな知識のある妹。 ああでもないこうでもない言い合った日々はとても楽しかったなあ。 もしこのまま私が死ぬまで退院できなかったとしたらすごく、すごく嫌だ。 でも体調優れないのに家で過ごすのも不安だろうから無理はして欲しくないジレンマ。 この話にあまり出てこない両親はちょっと変わってて若いのもあってか自分の子供が難病でも末期癌でも結構自分の都合優先。 事が起こったそのときは誰よりも騒ぐけど継続してのケアは苦手。 喉元過ぎれば熱さ忘れるを地で行く人達。 こういうのが長生きするんだろうなあ。 羨ましい。 パパには私の両親を見習って少し自分勝手に生きて欲しいし妹も移植が成功したら思う存分自由を満喫して欲しい。 みんなたくさんいきてほしい。
作成日 : 2019-11-26 04:31:49
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Folfox10回目
folfoxですが保険金目的で毎回2泊3日の入院。 みなさん多分お持ち帰りが普通なんですよね?? 火曜日にとったctの結果が全体的に維持か縮小だったので無事ファーストライン継続。 ただ、オキサリプラチンのしびれを懸念して次回からはfolfoxではなくts1単剤に変更するかどうかチームで相談するとのこと。 今2剤いれてるうちのどちらが効いてるかはわからないけど安定してるししばらくts1だけにして、少しでも悪化したらオキサリプラチンを使いたいらしい。 私的には冷蔵庫から出したばかりのお肉以上に冷たいものを触らなければ別にしびれもないし点滴後3日も経てば普通にアイスをパクパクもぐもぐ。 ただ、口内や喉に直で来るキンッキンに冷やしたジュースは飲めない? だからまだまだオキサリプラチンやるんだろうな〜と思ってたら突然の休薬の提案。 市民病院だしマニュアル通りの治療しかしないんだろうと斜に構えてた部分があったのですが、今回のお話でちょっとでも長く治療できるように考えてくれてるんだなあ〜と主治医を見直しました(笑) 前回入院時に主治医の外来の日が変わるとかで主治医に合わせて治療スケジュールを変更する話が出てましたが、家族の都合上日程を変えたくなかったため外来の先生だけ別の先生になるはずだった。 のですが、空き時間を見計らって主治医がわざわざ外来にきてくれました。 そこでもポイントアップ(笑) 薬が今のところ効いてるらしいから年は越せそうかな? 1220が誕生日なので28歳にはなれそうです。 29は、、まあ、、無理だろうなあ〜?
作成日 : 2019-11-21 17:50:50
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2回目のCT
告知前後ほぼ毎週のようにCTとってましたが、落ち着いたら2ヶ月ごとなんですねー 今日はいつものパパに加え妹も同伴の検査。 パパはどんなに短い処置や検査でも必ず仕事を休んでついてきてくれる。 パパの会社はなんというか私に頭があがらない?(笑) まあそんなことはないんですけど、パパが創業メンバーになるくらいの若い会社で、付き合ってる頃から社長さん他メンバーとは何回か食事したり一緒にスナックいったりする程度の仲。 そして3人目産まれるまでは仕事柄数ヶ月単位の出張が多くて、ほぼシングルマザー状態。 私が具合悪くなり始めた時から告知まで半年あったのですが、ちょうどその期間パパがずっと出張だったり社員旅行だったりしたのを社長さんは気にしてるのかな? 実際子供見てくれる人もいないし胃が痛いくらいで病院行けないし、そんなことで出張から帰ってきて休んでもらえないだろうし、と血を吐くまで我慢してたのは事実。 胃が痛くて一晩中寝られなくて迷惑になるといけないと思いソファーで唸る中パパは寝室でめちゃくちゃいびきかいて寝てました(笑) そんなこんなでパパも社長も色々考えて、告知後パパは役職がついて事務勤になり、かなり融通きかせてもらってます。 告知後はほぼ週に4日しか会社に行ってないような感じです。 告知前後2ヶ月近く私が入院した時点でとっくに有給なんか使い切ってるのですが、なぜだか今もお給金満額いただけて本当にありがたいです。 今は私にストレスになることは何もさせないくらいの勢いであらゆる子供の行事も地区の分担も朝の子供たちの準備も送迎も全部パパがやってくれます。 病院に運ばれるまでは身体を引きずりながら私が全部やっていたので(出張で誰もいないし専業だから当然ですが)、最初はパパが倒れないか本当に心配でした。 心配したところで自分はいつ退院できるか、そもそも生きて家に帰れるかもわからない状態だったから任せるしかなかったのですが。 とかなんとか振り返りながら看護師さんに名前を呼ばれて駆け寄っていくと、私が付き添いで車椅子に乗った方の妹が検査対象と勘違いした看護師さんは妹の方に(笑) そりゃそうだ、、、こんなに太った末期癌患者いないわ、、、 それに対して妹はガリガリで、心臓の難病を抱えているので負担を避けるため外出時は車椅子。 妹は大学病院でずっとみてもらってます。 私も来年は緩和病棟のある大学病院で最期をむかえるんだろうなあ。 今の抗がん剤が効かなくなって二次治療になったら大学病院に紹介状かいてもらおうかなあなんて思ってます。 というのも、妹がおそらく来年心臓移植の順番が回ってくる。 どんな状態でそれを見届けるかわからないけれど、おそらくその時には私にはもうなんの治療も残されてない。 ということは多分ホスピスにいるはず。 移植後は1年ほど入院するらしいか妹の手術が成功して元気になるのをなるべく近くで見たい。 そしてできれば退院するのも見たい。 妹には私がいなくなったあとのパパと子供たちのことをお願いしているから。 本人自身は私より先に自分が死ぬ可能性が十分あると言ってるけど、薬の副作用で2回も脳梗塞を起こしても何の後遺症もなく生還した奇跡の人だから大丈夫☺ 同病で2回脳梗塞起こして生きてる人は妹曰くいないらしい。 医療に奇跡は起きないって誰かが言ってたけど、妹は別に自分が何をしたわけでも祈った訳でもなく奇跡起こしてるから私も生還する方にbetしてるらしい(笑) 知人のいわゆるみえる人がいうには、妹はスピリチュアル的にすごい力を持ってるとかなんとか。 本人全く自覚ないし、高校生からずっといつなんどき死ぬかわからない生活を送っているからか本当に生に執着がない。 「今度こそは本当にICUから帰ってこないと思った」とベテラン看護師に言わしめる程の難局から何回も生還してる人はやっぱ常人と違うのかな、、、 姉はまだ執着を捨てきれずにいます。
作成日 : 2019-11-16 02:19:22
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こんきょはない
長生きしたかったなあ 参ったなあ というとパパは必ず大丈夫、何とかなるという そう思いながらみんな大事な人を亡くしていくんだとわかっている 都合よく奇跡なんか起こらないし、まあ大体1年後ぐらいにはもうここにいないんだろうなとも思う 昔から屁理屈ばっかり捏ねて変にリアリストなせいで確率とか数字とかそういうのをあてにしがち 大体の人が1年半ですよ〜 あとは誤差みたいなもんで5年後には7%しか残りませんよ〜 その7%も治ってるわけじゃないですよ〜 その中でもあなたはやばいですよ〜死んじゃいますよ〜とインターネットが言う ブログの最後のご報告には何ヶ月病気と過したのか、最後がどうだったのか嫌になるほど詳しく書かれている どれもこれも全部デマや嘘だったらいいのに、そんなわけもなく きっと何ヶ月か後に自分もそうなるんだろうなあ でも今に目を向けて今までの自分のように生きるには根拠の無い励ましをほんの少しだけ信じないと絶望感でなんにも出来なくなってしまう --- 今週だったか来週はCTだけどドキドキもワクワクも不安もなんにもない 結果がどうであれ1年後ここにいない確率のが高いんだから誤差 最初のうちはもしかしたら消えるかも?なんてことも少しくらいは思ってた でもねえ 薬うちはじめて半年経つのにここにきて急にバーンと薬が効いて病変全部消えました!とかあるわけないない(ヾノ・∀・`)ナイナイ それもあって なんだかんだいってもどーせ余命通りかそれ以下で死んでくんだろうなあ〜とやさぐれてたり 告知から半年しか経ってないのに同病の人が何人も亡くなってて 次は自分だという覚悟でもない中途半端な諦めが強くなってきた 最後まで諦めなかった人が生きたかった今をこんな思考で生きてしまってること自体が申し訳ない --- プケコさんの、私がいた方が良い世界ってお言葉がなんでだかずっと心に残ってます。 死ぬとか生きるとかいついつまで頑張ろうとか闘病にありがちな言葉じゃないのが嬉しかった?のかな? とにかくここ最近で一番琴線に触れた言葉でした笑
作成日 : 2019-11-12 02:13:33
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とじこもり
内心落ち着かない状態で日々過ごす ふとするとすぐ涙目になってしまう 告知当初あまりにも状態が悪くて毎日朝が来るのが苦痛で寝ている時だけが幸せだった だから余命宣告されなくとも3ヶ月と勝手に思っていたのに3ヶ月を過ぎた 薬が現状維持以上には少し効いたらしく、背中の激痛が消え普通以上の量の食事ができるようになり びっくりするほど以前と変わらない生活に戻った 変わったのは近いうちに死ぬ事実を抱えてることだけ 事実から目をそらす為に布を切ったり縫ったり 無職で甘え散らかした生活をしてる私なんかより絶対に生きるべきで生きてて欲しい人が亡くなって、あまりの状態の悪さに退院の見通しすらたたなかった私が生きてて なんでだろう --- 告知以降病気のことを知ってる人としか関わってないことに気付かされた 次女が小さいメモ紙とちびた鉛筆をもってきて電話番号をきいてきた 理由をきくと、以前のように幼稚園のお友達と家を行き来して遊びたいから、そのためにお友達のお母さんに電話番号を教えて連絡を取り合って欲しいと 本当はもっと拙くて言葉少なだったけどつまりそういう意味で そうだったなあ 病気になる前は幼稚園の延長保育にいれてなかったから、午後はおうちにお友達がきたり、一緒に公園にいったりしてたんだよなあ 長女のお友達は偶然お母さんが中学時代の先輩だったり、いつもお世話になってるご近所さんだったりして、お見舞いにも来てくれてるから病気のことは当然知っている だから告知以降もあまり何も考えず家に呼んで何度もバーベキューしたり遊んだりできていた でも幼稚園のほうは告知以降ほとんど関わりがなかった 無意識に自分の気持ちが楽な方を選んで甘えてるせいで子供に我慢させてたことがすごく心苦しかった 次女が遊びたいお家の人の連絡先はお互いに知っているし去年は何回も一緒に遊んだ けれど連絡できない 普通に接する自信がない パパにいったら 共働きだったり人それぞれの事情でほとんどの子は自分ひとりで友達の家に遊びにいける年齢までずっとそうなんだから別に気にすることなんかないんだ、と それもそうだけど、そういう言葉に甘えるわけにもいかないんじゃないかと思う自分もいる 今元気で動けているあいだに、たくさん幼稚園や学校以外のところでお友達と遊ばせてあげないと 自分がいなくなったらパパが言うように子供だけで行き来できるようになるまでしばらくそういうことができなくなる 今のところ血縁以外で家に来てくれるのは100%自分が連絡とっている人達だけ パパにパパ友いないしそもそもパパ人見知りで人付き合い面倒くさがりでウェルカムなキャラじゃないし と思うと連絡とって遊ばせたいんだけどどうしたものか もじもじぐずぐず面倒臭いやつだと自分でも思うけれど 一番危惧してるのが接してるうちに告知前何も知らなかった時のことを思い出したり、色んなこと考えて辛くなって泣いてしまうこと 幼稚園終わったら付き合いがなくなるライトなママ友に目の前で急に取り乱されたら普通に困惑するよね それがないって自信があれば連絡とって遊びたい 多分私は先に空にいかれたCPのお仲間のことをまだ、まだもう少し偲びたいんだ そして心が落ち着いたら連絡しよう
作成日 : 2019-11-02 03:12:49
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ありがとう
寝つきが悪くて少しぶりにCPをのぞいてみたら、恩人の訃報。 ありがとう。 ありがとう。 ありがとうございます。 告知当初、体も死にかけてたけど心も死んでいた私はあなたにたくさん励まされて、そのおかげでなんとか日常を取り戻すことができたんです。 病気じゃない人の励ましを聞き入れられなかった当時の私にとってこことここの皆さんと同病のあなたの励ましがどんなに、どんなにちからになったか。 年内か来年か、私がそちらに伺った時にまた直接お礼を言わせてもらいたいです。
作成日 : 2019-10-30 04:22:41
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まいったなあ
告知後5ヶ月たとうとしている今現在 運動会あるから〜学芸会あるから〜とかなんとかでほぼ月1くらいしか薬うってないけど生きてます 私「こんなに頻繁に休薬したりしてて大丈夫ですかね?」 先生「大丈夫かはわかりませんが予定があるなら仕方ないので」 いや、、、2週に1回ってなにか理由があっての2週に1回なんでしょう、、、 「今までの経過とCTの結果を合わせて考えると問題ないですよ」とか経験則でもいいからなんかなかったのかしら、、 わからないから聞いてるのにわかりませんはまいっちゃうなあ 家族はもう私がなんともないみたいに過ごしてる。 あるCPの会員さんの旦那さんがお医者さんに「元気そうに見えるのは元気そうに振舞ってくれているだけ」と言われたそう。 まあまあその通りで、気づくとお腹のあちこちジリジリ痛むし常に微妙な腹痛。 動くのに支障がないから普通にしてるけど、調子よさそうだねと言われるとげんなりしてしまう。 もうこの先これ以上に調子よくなることなんかないし、治らないし、心身ともにずっとしんどいのが今の普通 ぼちぼち薬も効かなくなってくる頃だろうから次のCTでまた現実に戻されるような気がする とりあえず普通以上の量のご飯が食べられるようになって腰の激痛に悩まされない日常が一時的にでも戻ってきたのは本当にありがたい 抗がん剤ありがとう ::: 何回もメッセージをいただき励ましてくれていた方の更新が途絶えて、そういえばつながり申請してなかったと思って申請をしたら奥様が申請受理と返信をくださった。 あまりにも人生経験が少なすぎて、それでもその意味を色々考えてしまって、どう返していいのか、どうしたら誰も傷つけないでいられるのか、わからず何も返せない。 最初は手術も視野にはいってた経過のあの方は、告知の最初から腹水あって水も飲めなくて水腎症おこしてて尿管ステントいれられた私なんかより状態が良かったはず まさかそんなことない そんなわけない また前向きなコメントで励ましてくれるのを待ってます。 ○○さん、私、今はもう何でも食べられるようになって5キロも体重が戻ってしまったんです。 今日も焼肉たくさん食べてきたんですよ。 休薬期間が長いのもあって、あと1年で死ぬのが信じられないくらい体調もいいんです。 本当に、メッセージ待ってます。
作成日 : 2019-10-14 04:06:08
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みんながんばっている
がんばれっていわれなくたって生きるだけで必死だし頑張ってるCPの皆さん 自分はというと周りにすごく恵まれてるからか告知後誰にも頑張れって言われたことは無い それでもここで大変そうな投稿を見ると、お願い、がんばって、生きて、と何かに祈ってしまう
作成日 : 2019-09-19 08:45:21
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パパごめんなさい
明るいうちは泣かずに1日過ごそうって思えるのに夜になるとどうやって死んでいくのか調べて落ち込む それを見たパパに注意されてまた落ち込む 調べたってなにもいいことなんか書いてないんだから調べるなってさ。 そりゃそうだ末期だもの。 調べてもいいことなんか書いてないって言葉に少し傷つく。 残り短い時間をくだらない諍いで埋めたくないのに昨日から一言も話せていない。 結局パパは元気だし、これからも生きていく人だし、所詮他人。 自分以外の人は他人。 そんな考えになって病気って孤独だなと感じる。 そういう時に限っていつも話を聞いてくれる妹が通院で家にいない。 少しピアノをひく。 少しスマホでゲームをする 少し掃除をしてみる。 なにも手につかなくて身の置き所のない辛さで体が強ばって息が詰まる。 今日はすごく嫌な思いをしたステント交換の日ということもあって朝から憂鬱なのかもしれない。 最初のステントは1週間の間に色んな告知を受けて心も体もズタボロの中麻酔をしても痛くて泣きながら病室まで車いすで戻った。 3ヶ月に一回のステントをあと何回交換できるんだろうとかそんなことばかり考える。
作成日 : 2019-08-27 10:11:33
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無題
パパがいるとどうしようもなく弱った部分がでてきてしまって、どうしようもないのにわがままをいってわんわん泣いてしまう。 治りたい。治りたい。10年後も20年後もみんなともっと一緒にいたい。 そのためにたくさん調べるけどそんな方法どこにもない。 確率がゼロじゃないのはわかってるけどそんなのありえないこともわかってる。 同病の奥さんを持つ方のブログでは、今まさに看取りの様相だった。 自分もあと半年か一年で。遅かれ早かれ。そんな言葉ばかりが頭を巡る。 今回の副作用が強いのか、抗がん剤がきいていないのか、食べたものもあまり先にいかない気がして余計に落ち込んでしまった。 少し落ち着いたあと、パパと一緒に買い物に出た。 ふと同じ敷地内の別棟にすむ実祖父(85)が毎日何を思って生きてるのか気になった。 正直、お互い来年どうなっているかわからない。 そんな中何を思って生きてるんだろうとパパに聞いてみたら 「きっとなんにも考えてないんじゃない。娘と孫と曾孫と同じところに住めて、医者に止められてるタバコ吸って、怒りたければ怒って、笑いたければ笑って。それだけなんじゃないかな。」 来年どうなってるかわからないのは同じだし、同じ敷地に住んでほぼ変わらない日常を送っている。 なんだか少し楽になった。 「今年も生きてたか〜」と親族に口を揃えて言われるじいさまと同じようにこっそりひっそり生きていたい。
作成日 : 2019-08-24 23:58:32
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わたしは困った患者
5月の告知以降、ある時点から入院時に臨床心理士さんがきてお話を聞いてくれるようになった。 多分私の様子が段々おかしく(?)なっていったのを見ていたのかな。 他の患者さんのところには来てないので私には必要と判断されたのだと思う。 今回も来てくれたので色々泣きながらお話させてもらった。 なんとかならないかなあ、困ったなあ、どうにもならないんだなあ、毎日思うんです。 心理士さんも「どうにかなってほしいですよね、、 」と。 でもわかってるんです。 この病棟に入院してる人にも家族がいて、みんな「なんとかならないかなあ」って。 そう思いながら近いうちに終わりを迎えていく。 どうにもならないのにどうにかならないかなと考えてしまう。 今回の大部屋は肺炎や感染で入院しに来た人しか居ないわりと重症患者さんばかりの部屋で精神的に辛いことも話した。 そのせいか今さっき主治医の先生がきて外来だけで済むけど今後も隔週の入院治療でいいですか?と確認しに来た。 正直点滴中はあまりにもだるくて横になってることがほとんどなので、今後も入院でお願いすることにした。 駄目な母親なのかな。 駄目な妻なのかな。 パパには「具合が悪いときは病院にいたほうがいいんだよ、入院がのびたっていつでも迎えに行くから。」と言われて甘えている。 少しでもみんなの傍にいたほうがいいのはわかってるけど誰もいない日中を具合悪い状態で過ごすのが怖くて仕方ない。 変なことばかり考えてしまう。 変なことと一緒に変な希望とか期待もしてしまう。 実際抗がん剤だけで3年生きてる人を2人だけ知っている。 その人たちはたくさんの同じ病気の人を見送ってきたそうで、つまり圧倒的に3年を迎えられない人が多いということ。 この病気になってからたくさん調べた中で1年半未満でご報告に至るブログもたくさん見てきた。 3ヶ月。8ヶ月。1年。 そうこうしてるうちに生きられちゃったなあってなればいいなって希望も持ってしまう。 でも生きてった先でこの病気はどうなる?治らない。副作用も強くなる。 困ったなあ。
作成日 : 2019-08-20 17:38:03
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大部屋は怖い
自分の行く末がいつもそこにある。 抗がん剤を打ちに入院しにきて、家に戻って、休薬があけて入院してもまだ同じ部屋で入院している患者さんがいた。 抗がん剤を全て使い尽くし、無治療で痛みが取れず家に戻れないらしい。 次の入院のときには、個室に移動していた。 何も考えたくないのに考えてしまう。 どうして?個室?ずっと大部屋だったのに? 家族と看護師さんが廊下で話している。 そういうことかと思った。 そうだよね、ここはそういうところだもんね。 隣では主治医の先生がきて個室をすすめられているひとがいる。 大部屋では話しにくいことがあるから個室に、ということらしい。 病室には大丈夫を言ってくれるパパはいない。 血液検査と外来の診察がおわって入院の準備が整うとパパは仕事に行く。 待ち時間のあいだ、あと何回ここに来られるのかな、来年のお盆は生きてるかな、どのくらい元気で過ごせるのかな。 全部の不安にパパは「大丈夫。」と返してくれる。 パパが帰るとどうしようもない現実しかない。 尿が出ない、むくみがとれない、痛みが取れない、起き上がることも出来ない。 インターネットで調べたことなんかじゃなくて全部大部屋で見聞きしたこと。 いつかそうなる日が近いうちに来る。 パパには申し訳ないけど、一緒に年老いていく希望は持てない。 手術もできないのに治るかもしれないなんて思えない。 あと半年か一年の余命にずっとおびえてるんだ。 パパは来年再来年でどうにかなることなんかありえないっていうけど、たくさんの人のデータの積み重ねで出た確率ってどうしたって無視できない。 奇跡は起こるっていうけど老衰で死ねる以外の奇跡なんかいらない。 1年が3年や5年になるのは嬉しいけど、望んでるのはそんな奇跡じゃない。 みんなと同じ時間を生きてひ孫を見て老衰で死にたかったんだよ。 CMでは人生百年時代だから色んなことに備えろと騒ぐ。 三十路にもなれないじゃないか。
作成日 : 2019-08-19 13:20:20
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無題
パパと友人は私が泣き言を言う度 「そんな事言われても死ぬとは思ってない、大丈夫」 を繰り返す。 パパに至っては毎晩泣く私に 「大丈夫。大丈夫じゃなかったらそのとき謝る。でも俺が謝る日は来ない」といって笑う。 「送迎も大変だし治療費が嵩むから子供の習い事を全部やめさせろ」と実母に噛みつかれ精神的に不安定になり 「半年や一年生き延びることに意味なんかない、子供たちの将来のために治療はもうやめたい」と泣きながら訴えても 「お金は何とかするし大丈夫。なにも心配することは無いんだ。変なことを言われても気にすることなんかない。副作用が辛いとか体が原因で続けられない以外で治療をやめるってことは絶対にない。大丈夫。」 と毎日毎日何度も大丈夫を言ってもらってようやく日中を穏やかに過ごす。 再婚は絶対にしないって言うけど新しいお母さんが欲しいって子供たちが言ったらどうする?と聞くと 「母親は1人でいいんだ。仮にどうなっても離婚するわけじゃないんだから再婚なんかしないしできないじゃないか。」 そうやってずっと1人で頑張ろうとするパパを想像するとまた涙が止まらなくなる。 でも子供たちはみんな女の子だから、きっと色んなお手伝いしてくれる。大丈夫。 友人は直近の台風で雨が降っていた中、私の好きなジュース1本だけを届けにきたといって家に来た。 多分様子を見に来て、ダメそうならまた連れ出してくれるつもりだったんだろうなと思うと胸が詰まった。 休薬中でも週に一度以上家まで様子を見に来てダメそうな時は家から連れ出してくれる。 難病の妹だけを過保護にしている実母にほぼ放任されていた私に中学時代から世話を焼きつづける友人。 通学カバンに荷物をつめこむのがあまりにもへたくそな私を見かねて毎日ジャージやら教科書やらを詰め直したり クラスで唯一携帯を持たされていなかった私の連絡役として常に一緒にいたり 母からの連絡も毎回友人を通してきていたため、連絡してくるなら携帯持たせてくれればいいのにと思ったり 母のヒステリーのおかげでプチ家出した私を何日も泊めてくれたり 人見知りのくせに自己中で寂しがりで何にもできない人間なので友人基準で親に無断で高校決めたり 新幹線で5時間の距離にいる割と年上の彼氏(今のパパ)のアパートへ夏休みに家出し音信不通になっていたところ夏休み明けにビンタされたり その彼氏にすごい剣幕で説教したり そうやって過ごしてきた高校生活の終わり際に友人は癌でお父さんをなくしている。 えっ、と思うくらい短い闘病生活だった。 今年の5月末お父さんと同じ病院で告知を受け、後の1ヶ月の入院期間中ほぼ毎日来てくれた。 こんな病気になって、お父さんと同じ病院で、こんなとこに毎日、ごめん というと「そんなこと気にしてたのか」と笑った。 「父親の時はなんとなく『あ、この人だめなんだ』とおもった。でも南からはそれを感じない。なんでだかわからないけど大丈夫な気しかしない。」 こんな病状で、手術すらできなくて、もうだめなんだ、とぐずぐず言っても「調べたしわかってるけど大丈夫な気しかしない」 正直大丈夫じゃないってわかりきってるけど、母親ですら信頼しきれない自分の信頼できる人達の言葉だから馬鹿な私は信じてしまう。 ろくでもないことしかしてこなかったけど人にだけは恵まれた人生だった。 パパがパパでよかったと本当に思うし友人が友人で良かったと本当に思う。 そばにいるのがパパと友人じゃなかったらと考えるとゾッとする。 ゾッとはするけどパパがパパで友人が友人なのは紛れもない現実だしきっと死ぬまでそうだって確信できるから結果安心しかしない。 すごく感謝してるってことを伝えたいのに月並みなことしか言えなくてもどかしい。 なんだかなあ。本当にありがたいって思ってるんだよ。 遺書にキャンサーペアレンツのurlを残しておかないと。
作成日 : 2019-08-18 03:50:42
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病気を忘れたようにすごしたり
そうじゃなかったりと忙しい日々が続いてます。 何も無いかのように笑って日中過ごした反動が寝る間際にきて急に涙が止まらなったり、赤ちゃんみたいに旦那に寝かしつけられる日が続いたり。 本当に毎日毎日同じブロガーさんのブログを読んで気を落ち着かせてる状態です? ### 今日は父の弟(つまり叔父)が東京からきました。 仙台七夕の七夕飾りのごとく豪華な千羽鶴をいただきありがたいなあ、、と早速天井に穴開けてまで吊るしました。 叔父の長女(調理師)の力作らしく、デコ千羽鶴☺ すごく小さい鶴で構成されてて、さすが調理師器用だなあとしげしげ見つめてしまいます。 思春期以降あんまり交流のなかった従姉妹ですが、なんだかとても感動、、感動というより染み入るというか、、 感謝です☺ 午後からは父と叔父の飲み会がはじまり刺身やら大好物の桃やらしゃぶしゃぶやら本当にたくさん、見た人が確実にドン引きするほど食べる食べる、、 最後に叔父と会ったのが水しか飲めなかった入院時期だったので、元気な様子を見せられて良かったと言い訳? 明日も明日で主人の実家でバーベキューなので一生分食べてきます☺ 海沿いなので海鮮が楽しみだなあ
作成日 : 2019-08-10 23:35:18
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落ち着いた日々を過ごせる
手術不可の告知受けてからはや2ヶ月と少し。 尿管ステントの交換が3ヶ月目安と言われてその3ヶ月すら自分はどうなんだろうと毎日毎日泣いたり塞ぎ込んだり。 色んな人のブログを見ては「ご報告」の多さに夢も希望も何もかも失っていた。 今は抗がん剤が効いたのか、当初水も飲めなかったのが牛タンを食べたりなんかして☺ 家族と同じもの、同じ量を食べられるようになったことでだんだん心も復活してきた。 治ることはないってわかってるし厳しい状況なのは検索しまくったおかげで重々承知。 でもまあ抗がん剤が長く効いたりなんかして共存していければいいなあってとこまで今は思えるようになった。 そうなれたのはあるブロガーさんのおかげだったりもする。 こんなとこで名前を出しても誰もわからないだろうし、ましてや本人は私の存在なんか知らないけれどもそらさん、平八郎さん、本当にありがとう。 あと妹には感謝してもしきれない。 目標をたてるとだめだったときにあーあってなるから抗がん剤2年がんばろー程度に留めておこう☺️☺
作成日 : 2019-08-09 19:42:19
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孤独感
1週間入院、1週間退院して今後生きていくことが決まった。 退院中の平日の日中がこんなに辛いとは思わなかった。 低気圧のせいか身体がすごくだるくてずっと寝ている。 なにかしなきゃと思うのに何をする気も起きない自分にも腹が立って仕方がない。 副作用なく過ごせる時間を無駄に過ごして、体力落として、一体どうすればいいのかわからない。 子供たちは全員夕方にならないとかえってこない。 孤独で仕方ない。
作成日 : 2019-07-04 09:17:32
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気持ちが日替わり
中学からの友人が仕事帰りに本当に毎日毎日お見舞いに来てくれている。 家族は旦那も含め忙しいから毎日は来なくなった。 でも友人は副作用でぐったりして眠っているような時でも何も言わずにいてくれる。 今日は一時退院。 昨日、「ありがとう。ありがとうって本当に思っているんだ。ありがとう。」 って手を握って伝えたら少し涙目になっていた。 友人は「どうせ治るんだから」とこんな病状の私にいつも言う。 本当の所は大人だしわかってる。 でも未来は誰にもわからない。 -- 元気でいられない時はいつも必ずりってぃさんの日記を見る。 病状はほぼ一緒。 私の治療はまだはじまったばかりだけど、何となく効いている気がする。 水が飲める。薬が飲める。 副作用が辛いうちは色々ネガティブなことを考えてしまうけど、本当に治療はまだはじまったばかり。
作成日 : 2019-07-02 08:33:00
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お医者さん
お医者さんは悪いことしか言わない。 希望を持たせるようなことを言えないのはわかっているけど、病室から呼ばれて改めて話し合いを持たれると毎回気分が落ち込む。 ただ言葉尻には「個人差」 その個人差に今は全てを賭けている状態なんだなと思った。 最後にお医者さんがいったのは、 「化学療法はもちろんのこと、お守りやお見舞い、みなさんの気持ちで良くなっている。」 「まだ評価はしていないけれど、僕は抗がん剤が効いている可能性の方が高いと思っている。」 「2年間同じ薬を継続できている70歳のおじいちゃんもいる。」 2年かあ、、、 とりあえず退院して2ヶ月後の尿管のステント交換まで元気でいることを目標にしよう。 もちろん最後は寛解。完治。
作成日 : 2019-06-28 16:14:45
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入院後初めての朝食
流動食だけど昨日から夕食がスタート。 朝食は重湯、味噌汁、りんごジュース、飲むヨーグルト。 液体(笑) 完食でおなかいっぱいです。 入院した当時は水を1口2口飲むだけでも吐いてしまい、バリウムすらまともに飲めないので二口だけ飲んで検査してもらった。 それすら胃の先にいかず、家に帰って結局吐いた。 それが1か月前のこと。 今はたった1回抗がん剤を打っただけでガブガブ飲めるようになった。 ゼリーも食べられる。 脱水もなく調子がいい。 今日は2回目の抗がん剤。 どれだけ効果が出るかとっても楽しみ。 ありがとうオキサリプラチン! がんばれオキサリプラチン! 私も頑張る。
作成日 : 2019-06-27 07:44:28
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わけがわからない
一昨日長女のピアノのコンクールがあった。 最後の追い込みをかけなきゃいけない1ヶ月弱を入院していて、私は何も出来なかった。 外出届けをだして久々に外に出て、コンクールへ向かうと顔馴染みのママさんたちから大丈夫?と声をかけられる。 パッと見病気に見えないくらい元気そうに見えるのでみんな喜んでいた。 中身は全然元気じゃないんだけどな、、と複雑な心境。 そして入院してから初めて長女が弾くピアノを聞いた。 ホールだからかグランドピアノだからかいつもよりすごく上手に聞こえた。 のは気のせいじゃなかったようで、なんと一番いい賞をいただいて長女はトロフィーかついで帰ってきた。 賞が発表された瞬間色んな思いが込み上げて涙が止まらなかった。 大事な期間に何もしてやれなかった悔しさ、その間練習に付き合ってくれた妹たちと見舞いや膨大な手続きの間をぬって教室へ送迎してくれたパパへの感謝、ちょっと特殊な事情を抱えてしまった我が家への配慮をしてくださった先生への感謝。 長女の努力はもちろんのことだけれど、書ききれないぐらいたくさんの人のおかげでもらえたトロフィー。 本当は今回のコンクールを最後に、今後の負担を考えてピアノをやめさせようと思っていた。 でも、顔馴染みのママさんのお子さんがピアノ教室の発表会でやる連弾について「長女ちゃん以外の人と連弾はしません!!」とキッパリ言い切ったという話を聞いたのもあって(笑) 継続を決定。 みんなに負担をかけてしまうけれど、なるべく続けさせたい。 完全に私のわがままだけど話し合って理解してもらえてよかった。 まだ入院中で家に帰ってからどの程度動けるかわからないけれど、多少無理してでも頑張りたい。 というのも、長女がトロフィーをもらった日から今まで水を少量飲んだだけでも吐いていたのが突然止まった。 そして今日調子がいいと思ってゴクゴク飲んでいたらあれよあれよというまに2リットル。 今までは1日で200ミリが限界だったのに突然飲めるようになった。 何が起こったのかわからなくてどのくらい飲めるか試そうと思いガブガブ飲んでいるけど一向に戻す気配がない。 硬くなってここ3ヶ月本来の機能を果たさなかったはずの胃の先に水がどんどん送られている。 かといって吸収されていないわけでもなく下痢も起こさずトイレが近いだけ。 自分的には相当衝撃だったのに、今後の薬の件できた先生に言ったら「波があると思うので?」と反応が薄い。 ええええ、、 たった1回抗がん剤打っただけで絶飲食だったのが2リットルですよ、、? 手が震えるほど動揺したのに、、
作成日 : 2019-06-25 16:26:34
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言い様がない不安感
告知を受けてからも看護師さんや先生が困惑するくらい普段通り(?)元気そうに見える私ですが、今日久々にずーんと落ち込み涙まで。 原因は吐き気止め。 今も尚ほとんど飲食ができない状態なのですが、どのぐらい飲めるのかな?とふと気になりジュースを100mlほど飲んだところやはりちょっとずつ嘔吐。 私の場合は嘔吐と言っても「おええええ!おええええ!」ではなく、なにかアクションをおこすたびゲップと共に少し戻ってきてしまうような嘔吐が何度も。 それをたまたま看護師さんに見られ、吐き気止めを入れるか聞かれ「吐いてるのに吐き気止めいれないってのもなあ、、」と一応依頼。 それが間違いだった。 ある病気で入院常連の妹が以前「プリンペランいれられるとそわそわしてかえって気分悪い」と言っていたけどそのときは意味がわからず「へえそんなことあるんだ」と流していた。 いざ自分がそれを静注で入れられた途端急に、本当に急にそわそわしだし、言いようのない不安感に襲われついに涙が出てきた。 寝ていても座っていても落ち着かず、本当に身の置き所がない。 不安で仕方ないのをどこかにぶつけようにも誰になんといえばいいのかもわからない。 無理やり自分を押さえつけるように横になりまだ昼過ぎなのに眠った。 物音で目を覚ますと父と妹と子供達3人と旦那が揃ってお見舞いに来ていた。 みんなの顔を見た途端お化け屋敷からようやく抜け出したような気分になった。 多分プリンペランをいれられた直後だったら絶対にまた泣いてたと思うけど涙目になる程度で済んだ。 今後は絶対にプリンペラン以外の吐き気止めをお願いしないと。
作成日 : 2019-06-20 21:36:17
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朗報、、???
昨日婦人科の診察があり、「やる治療に変わりはないのに診察要る、、?」と思いながらものこのこと診察室へ。 エコーやらMRIやらCTやら経過を見るに大きくなってる様子が無いため、卵巣転移疑いだったものがただの卵巣の腫れっぽいとのこと。 どちらにしろ腹膜播種だし腎臓にもいってるから喜ぶと言うよりもへぇそうだったのか〜と。 子供も3人も産んでるというのもあって卵巣をどうしても残しておきたいわけでもなかったからだけど、一応朗報なのかな?? 主人も今日から仕事がはじまり、私無しでみんなそれぞれの日常を送る。 仕事帰りに必ず寄るって言われたけど、来て欲しい時だけ呼ぶから大丈夫とやんわり断った。 大変だからね。 そしてなんだかんだこの病気かもしれないとなってからもう1ヶ月。 仮に余命3ヶ月だったとしたらあと2ヶ月しかないけど今の自分の状態からするととても2ヶ月でどうにかなるとは思えない。 でも半年先は自信が無い。
作成日 : 2019-06-19 08:46:02
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じつをいうと
自分の病気が一体どういう状態なのか詳しくはわかっていない。 おおまかに尿管浸潤、卵巣転移、腹膜播種、食道の噴門部に何かある、まではきいているもののその詳細を聞けるメンタルじゃなくて父と主人に任せていた。 めちゃくちゃな状態なのはわかっているしだからといってやる治療は変わらないんだからネガティブな情報を仕入れたところで落ち込むだけだと思って説明を聞かなかった。 どのぐらい生きられる状態なのかもわかっていない。 とりあえず今は元気とだけ?
作成日 : 2019-06-14 15:15:17
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祈りの力ってあるのかな
毎日のようにみんながお見舞いに来てくれて、たくさんお守りを置いていく。 そのおかげか、抗がん剤2日目からズーンと副作用が襲ってくるという話を聞いてビクビクしていたのに今のところ少し気だるい以外はなんにもない。 回数重ねるごとに酷くなることも聞いていたけど、とりあえず初回2日目にはなんにもなかったと言ってもいいかもしれない。 今日母の昔の会社の社長夫人がお見舞いに来てくれた。 本人もつい最近までステージ3の乳がんを2回経験(再発ではなく初発×2)していて、リンパに転移し大きめのしこりはあったものの術前の抗がん剤がよく効いて無事切除。 そしてご主人を10年ほど前に膵臓癌で亡くしている。 実はご主人の葬儀には10年前に私も参加していて、いつも通りの顔をしているのに亡くなってしまったんだな、なんでだろう、どうして、と妙な憤りを覚えていた。 やはり経験者のお見舞いは説得力が違う。 2回癌をして、こうやって生きている。 その人が「医療は発達している、元気になって快気祝いを盛大にするんだ。」と。 もしかして本当に元気になって帰れるんじゃないかと思ってしまう。 その人は抗がん剤の副作用の吐き気がほとんどなく、一年半の抗がん剤期間中1度も吐いたことがなかったそう。 その間もずっと孫を通学のため家に下宿させて日常の世話をしていたと聞いてバイタリティに満ち溢れた人だなと思った。 看護師さんも、癌になっても元気に家に帰れる人は塞ぎこまない人の方が多く感じると言っていた。 落ち込んでいる暇なんかないのかもしれない。
作成日 : 2019-06-14 14:23:13
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明日から抗がん剤
副作用の知識だけは沢山あるもののじゃあどうすればいいのかはわからない 耐えられる程度?耐えられない?耐えられなくても耐えるしかない? オプジーボは最後の切り札になった。 水も満足に飲めないから点滴でいれられるfolfoxから。 どうなるんだろう。 死ぬまで栄養点滴なのかな。 口からご飯を食べられないのかな。
作成日 : 2019-06-12 10:37:47
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慣れない病室
もう何年も専業主婦で、ずっと家にいた。 起きたら必ず家にいるはずだった。 今起きて、病室にいる絶望感。 寝ている間は自分が癌だってことすら忘れているのに起きたら病室。 24時間一緒にいた子供たちが誰もいない。 どうしようもない孤独感で押しつぶされそうになる。
作成日 : 2019-06-10 05:19:03
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不思議な話
大体の症状からおそらくは腹膜播種があるため胃の全摘は無理だろうと思ってはいましたが、やはりその通りになりました。 しかし播種があるからただ中を見て閉じたにしては手術時間が長かった。 手術から2日後、母親から聞いた話だと「最後の最後まで、ご飯を取れるようにしてあげたくて胃をとるかどうか先生たちみんなで話し合ってたみたい。」と。 ここの病院は播種があっても、あるからダメ、手術はしない。とセオリー通りの治療だけをする病院ではないことを知れて少しだけ安心した。 そしてここからは少し変な話になるので、スピリチュアルなことが苦手な人はそっと閉じてください。 実はね、会社で同じく癌を患っている人がすごく当たることで有名な人のところで姓名判断をしてくれたんだ、とこそっと母が言った。 私の家族はあまりそういった話が好きではないため、母親も私のことをみてもらったもののずっと黙っていたらしい。 そのみえる人曰く「うーん、切らないほうがいいんだけどな。」 しかし期日も迫っていることと、根拠が当たるか当たらないかわからない占いのみだったため母も黙っていた。 結果としては開腹することはできず家族も母も私も意気消沈してしまったものの、その話を聞いて不思議だなと思った。 よく考えてみれば、胃が残っているということはもし抗がん剤が効けば前と変わらずダンピング等切除の後遺症もなくご飯が食べられるということ。 みえる人になにがみえていたのかはわかりません。 切ればただでさえ短い残された時間がさらに短くなっただけの話かもしれません。 でもなんとなく不思議だなと思った話でした。
作成日 : 2019-06-09 15:14:09
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色々考える
ゼロではない確率を信じようと思えるようになりたい 信じたい ゼロではない 誰にもわからない 19歳のスキルス胃がんステージ4の子が抗がん剤だけで寛解し原発巣切除、2年再発なし。 ゼロではないんだ。
作成日 : 2019-06-09 07:32:39
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ごめんなさい、ありがとう
前回の投稿ですごく落ち込んでネガティブなことばかり垂れ流していたのに皆さんに励ましていただいて、本当に、本当に救われました。 腹腔鏡の傷が痛みまだまだネガティブになってしまいますが、なるべく前を向きたいです。 今日はたまたま病院にきていた地区会の総務の方に病室に来ていただき、今後の地区活動や学校活動に支障が出る事情を話したら、一緒に泣いてくれて、励ましてくれました。 その方は友人二人を乳癌で見送り、自分のお父様も大腸癌で看取ったそうです。 お父様の場合は見つかった時点で手遅れでなんの治療もできず、輸液だけで臨終を迎えたと聞きました。 私はまだ、治療ができる。だから大丈夫。信じてる。4年だって5年だって生きてる人はたくさんいる。 手を強く握って泣きながら何度も諦めるなと言ってくれました。 それでも私は頼るしかないから、どうか、どうかよろしくお願いします。と。 子供たちの先のことが不安で仕方ない、どうしたらいいかわからない、といったら、 子供は強くなるしかない、今までパパとママに囲われてどっぷり砂糖水につかってきたけど、これからはもう海水で生きていかなきゃいけない。自立させるの。と喝をいれてもらいました。 具体的に今後の登下校は親無しで集団の登校班まで歩いてこれるよう練習、放課後は児童館。 ずっと専業主婦で何もかもやってきたので主人にも子供達にも申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまうけれど、それじゃいけない。 みんな何があっても生きていけるようにしなきゃいけない。 そう気づかせてもらった日でした。 地区会にはいってまだ2ヶ月足らずなのにこんな話をするのも気が引けましたが、これを逃すと自分の口で言える日がいつになるか本当にわからない。 一日一日をこういう風に生きていかなきゃいけない重圧に押しつぶされそうです。
作成日 : 2019-06-07 23:02:21
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だめだった
想定しうるいちばん悪い状況だった 播種もあって 胃の周りの臓器にも転移してて 食道も がんばるってなんだろう みんなに迷惑かけてまで生きる意味ってなんだろう 生きてるだけでそれだけでいいって言われるけど 辛すぎる
作成日 : 2019-06-07 09:42:34
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スキルス胃がん尿管浸潤のため尿管ステント
仙骨麻酔をしても痛くて、終わっても違和感と激痛が止まなくて、生きてる間中これを3ヶ月に1回、、、そもそも次が三ヶ月後ってまだこの世にいるのかな、、、 と痛みでネガティヴになってしまい施術後震えが止まらず少しパニック状態に。 明日の腹腔鏡審査のこともあり、廊下で待っていた主人を見た瞬間に泣いてしまった。 痛み止めをいれて主人に腰をさすってもらい頭がぼーっとしてきたところで主人帰宅。 しかし抗生剤のせいで下痢も止まらず、休まる日まもなく。 少し落ち着いてきたら中学からの友人がお見舞いに来てくれた。 誰も、誰も私が死ぬなんて思ってない。 ただ漠然と大丈夫だろうって、死ぬなんてそんなことは考えてないと何度も何度も繰り返す。 自分で調べたこの病気の予後と自分の状態を照らし合わせてもうこれしか生きられない、残された時間が短いからこそ楽しく生きなきゃいけないのにそんな気分になれない、と泣きながら言ってもその度、私が死ぬと思ってるのは私だけだと言う。 不思議なもので何度も何度も繰り返し言われると私も元来単純な人間なので(えぇ、、、そうなのかな、、、)となる。 そして尿管ステントを入れる前に来た父も何故か全く同じことを言っていた。 そのうちにとりとめのない話や思い出話、同室の老人のいびきがすごい等の愚痴で盛り上がり、彼女は仕事終わりなのに面会時間いっぱいまで相手をしてくれた。 そしてまた明日、といって帰っていった。 楽しかった気持ちをたくさん抱えていると明日の腹腔鏡も怖くなくなり、どんな結果でもとにかく治療をして、 とにかく浸潤をなくして、ステントをとるんだと思えるようになった。 でも夜までの間に何回か下痢をし、痛み止めが切れても六時間間隔があくまで次を入れられないので1人で悶えていると段々またネガティヴな方に引きずり込まれる。 痛い、苦しい、まだ治療もしてないのに。 今からこの調子でこの先抗がん剤に耐えることが出来るのかな、もし効かなかったらどうしよう、いつまで生きられるんだろう。 朝の採血を失敗され更に血管もボロボロなのかな、どうしよう、と不安ばかりが増していく。 今日は手術前最後にシャワーを浴びようと思っていたのに痛くてその気も失せてきた。 自分のネガティブのせいで友達にもらったパワーが薄れていくのが申し訳なくて泣けてくる。
作成日 : 2019-06-05 06:28:06
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つらい
なんの治療もしないで明後日の腹腔鏡審査を待つだけの時間 つらい 取れれば全摘、とれなければ腹腔鏡審査のみ。 手術が終わる時間でそれは分かってしまう。 本人より先にそれを知らされてしまう家族はどんな気持ちなんだろう。 この1週間で色んなことを考えた 腫瘍マーカーはあがらない 生検の結果も陰性 でも でも 播種はあるだろうな ずっと放置してたんだもん 卵巣転移もMRIでみえるって 尿管にも浸潤 今日は尿管ステントをいれる 確定してないのに状況証拠だけで癌だってわかる つらい つらい いつ死ぬんだろう どうやって死ぬんだろう こわい
作成日 : 2019-06-04 08:38:46
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作成日 : 2019-11-01 17:19:50
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作成日 : 2019-08-27 09:57:41
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作成日 : 2019-08-10 23:11:27
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作成日 : 2019-08-09 19:31:12
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作成日 : 2019-07-04 09:13:30
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作成日 : 2019-06-29 17:56:56
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作成日 : 2019-06-27 07:38:07
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作成日 : 2019-06-25 15:57:32
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作成日 : 2019-06-20 21:19:01
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作成日 : 2019-06-19 08:25:10
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作成日 : 2019-06-17 09:31:36
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作成日 : 2019-06-16 08:42:41
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作成日 : 2019-06-14 14:07:00
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作成日 : 2019-06-12 10:34:43
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作成日 : 2019-06-10 05:15:28
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作成日 : 2019-06-09 07:29:42
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作成日 : 2019-06-07 09:40:33
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作成日 : 2019-06-05 06:01:42
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作成日 : 2019-06-04 07:58:53