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ちゃっこ(54)
群馬県 / 膵臓がん / ステージ4日記
読書感想文から知る娘のおもい
夏休み恒例の読書感想文。 国語だめだめな娘が選んだのは、ホープツリーの冊子に推薦が載っていた『月のかがやく夜に』でした。 今週の朝礼で突然名前を呼ばれたそうです。 その感想文が市で優秀賞となり、校長先生から賞状をいただいたのです。 帰宅した娘から「ハイ、見てみ!」と丸めた賞状を渡され、あまりにも驚いて泣けました。 涙々のわたしを見て、「イエーイ!」と小躍りするばかりの、やっぱり言語表現力に乏しい娘でした(笑) 『月のかがやく夜に』…Amazonさんでも中古しかなかったので、もう生産していないかと思われます。 がんになったお母さんが、月のかがやく夜に、我が子に自分の病気や気持ちを伝える物語です。 すぐに読み終えることのできる、ほぼ絵本です。 4年生としてボリューム的にこれでいいのか?!ズルくないか?!と思いつつ、まぁ出しゃいい宿題だし、と放置でした。 夏休み、わたしの化学療法中に、娘1人待合スペースに軟禁状態で書きあげました。 「わたしは今、日赤の化学療法室にいます。」 と始まり、わたしの病状と自分の気持ちが、物語と照らし合わせながら書かれていました。 中でも、 「お母さんは、副作用で寝ていることもあります。でも元気なときにはたくさん遊んでくれます。」 「いっしょに遊んでいると、私は時々、お母さんの病気のことをわすれてしまいます。でも、それでいいと思っています。ずっと考えていたら、つらくなってしまうからです。」 「私は、学校の楽しい話をたくさんしてあげて、お母さんとたくさん笑っていたい。いっしょに笑って病気に向かっていきたいと思います。」 というような記述(コピーをとらなかったので記憶のみで残念??)が、心に残っています。 わたしの病気を娘がどう捉えているのか、初めて見えた気がしました。 わたしの病気について、娘は一度も泣きません。 どうもがんらしい、ということを一番最初に話したのも娘にでした。 クリニックでCT画像を診ていただき紹介状をもらった日、たまたま休校で娘が受診についてきていたからです。 4年生というのは、とても大人の話に首をつっこみたがる時期でもあります。 その後の検査結果、治療方針、腫瘍の増大や余命への不安も、わたしが夫へ向ける話を全て聴いています。 患者サロンにも都合のつく限りいっしょに参加をしています。 でも、うんうん、とよく話を聴いてはくれますが、どうも自分からは多くを話さないので(なにせ言語表現力が……)、頑張らせすぎではないかと心配ではありました。 心配なので、言動に注意をはらっていただけるよう担任の先生に手紙を書いたり、仲良しのママ友にも協力をあおいだり、家族以外の大人に話したいとき話せるよう脇をかためてみたりして。 でも、そんな生活を5ヶ月経た今思うのは、子どもってなかなか逞しいんだな、ということ。 親が病気になってしまったことは確固たる大問題で太い柱だけれども、同等に大事な柱を何本もお持ちのようです。 クラス、宿題、合唱団。林間学校の班編成や、市の行事…… 並行して何本もの柱を持っていて、チャンネルを切り換えながら1つ1つに真剣に向き合っている模様。 親の病気が全てではない。 娘を信じて頼ろう、そしていつでも家族や先生や大人を頼ってよいことだけは伝え続けよう、と思いました。 わたしがふざけることを「楽しい」と捉えてくれている、わたしの病気を「つらい」と思う感情を知りつつ「時々わすれる」、病気に対して「いっしょに向かおう」という姿勢でいる… そんなことを感想文から知ることができ、ほっとしました。 闘病生活が長きに渡るほど、一筋縄ではいかないことも増えてくるとは思います。 こんな思い、周りのお友達は誰もしていないのに可哀想に、とも思います。 もっと言えば、母の闘病を目の当たりにし、そして早くに母を亡くすという辛い体験をさせるのなら生まなきゃよかった、とすら思います。 それでも、生きてりゃいいことあるんだなぁ…… わたしたちにとって、今回の思ってもみない賞状は神さまからのご褒美でした。 泣けました。
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Nino(55)
千葉県 / 大腸がん / ステージ4日記
ちょっとイタリアっぽい?
今朝のワンショット
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とっしー(49)
茨城県 / 肝細胞がん / 寛解日記
もんじゃの会~東京・月島~
秋も深まる東京下町で「もんじゃの会」が開催されました。 オフ会にしても飲み会にしても普通開始時間があり終了時間があるものですが、今回は開始時間は決まっているけど終了は飽きるまでエンドレスという極めてラフなオフ会でした。 お店の二階を占拠して延べ30名以上のサバイバー達が入れ替わり立ち替わり集まりました。病院から抜けてきた方からバンコクから参加された方。ギターを抱えてきた方や遠隔でテレビ電話で参加された方まで、とにかく色んな方が参加されました。まさにカオス! 「がん」というワードでつながった同志達。会話が「自由診療」だったり「オプジーボ」だったり。でもそこには悲壮感はまったくなくて。ステキな場所を提供してくれた幹事であるMinnieさん、ミーさん、としさん、本当にありがとうございました。 結局21時まで宴は続きました。お店は途中でチェンジしましたけど。でも2軒目ももんじゃ。まさにもんじゃな1日でした。 ちなみに私はお店に一番乗りしたので、8時間半滞在したことになります。労働時間とほぼ一緒。でも不思議と疲れはありません。あっという間の1日でした。 個人的には「CPのスナフキン」こと、つうさんのギター弾き語りが感動しました。1軒目では爪弾いただけで注意され、イラッとしましたが、2軒目はギター&歌唱OKをもらいインストアライブが敢行されました。 だらだらと拙い文章を書きましたが、私は幹事でありません(爆) きっと誰かあげてくれるだろうと待っていましたが、自分の記憶も朧気になってしまうので勝手にあげさせていただきました。 参加された皆さん、それぞれエピソードあるかと思います。どんどんあげてくださいね。 次回は新年会になるのか、新潟オフ会になるのか分かりませんが、また皆さんと集まって楽しい時間を共有したいと思います。
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Nino(55)
千葉県 / 大腸がん / ステージ4日記
新車馴らし
納車から4日で500km。あと、500km走れば馴らし完了。 目標 30万キロ走破。潰れるまで乗り倒す。 1年1万キロとして、あと30年生きなきゃ!
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にーやん(43)
大阪府 / 胆管がん / ステージ4日記
年内でダメかもと悶々としてます。
今日の日記はタイトルでほぼ完結。 前回の日記に対して、すごく沢山の応援や心配のコメントいただきました。ありがとうございます。 昨日、退院することができ、両親ともたくさん話しました。前向きなことも後ろ向きなことも。泣いたり笑ったりしながらたくさん話せたと思います。胸のうちを腹を割って。 親に面と向かってありがとうなんて言うと、ボロボロないちゃうからなかなか言えてないけど、いつかきちんと伝えたいと思います。 来年のゴールデンウィーク映画にハリウッドのゴジラやるみたいですね。 キングギドラも出そうだし、すごく楽しみです。
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かんちょい(48)
神奈川県 / 膵臓がん / ステージ4日記
えほんプロジェクトがテレビで特集されます!11/10(土)NHKおはよう日本
こんにちは! 皆さんご存知の通り、CPえほんプロジェクト第1弾として、『ママのバレッタ』が12/2に発売されます! そしてなんと、発売を記念したPR活動としてNHKの「おはよう日本」という番組内で特集されることになりました! 特集では、キャンサーペアレンツのことや、制作者・えほんプロジェクトメンバーはもちろんのことですが、僕が娘にえほんをよみきかせするシーンや、我が家の様子や僕の治療状況が入り込む予定です。(宣伝しておきながらメッチャ恥ずかしいです....) ●放送予定 日時:11/10(土)7:00~8:00の間 番組:NHKおはよう日本 ※特集のコーナーは数分間のようです。もし、天災や災害、世間が注目するような出来事があった場合は、カットか延期になるようです。 えほんプロジェクトには、たくさんのメンバーさん達がたくさんのアイデアを出しあって、独自で制作し、多方面に足を運んでPR活動されて、やっとの思いで今回の発売に至りました。 制作に携わった一人一人の想いがいっぱい詰まったえほんのPRとして全国ネットの番組で特集されるのに、果たして僕なんかでいいのか.....。 『ママのバレッタ』なのにただのハゲたオッサンがよみきかせをして意味があるのか? すごく悩みました....。 実際に取材に来ていただいたNHKの記者さんやディレクターさんとお話しをしていると、単純に企画だから、とか、仕事だから、という感じが全くなく、すごく親身になってこちらの想いを聞いて下さいました。 がんに罹患していない人からすると、僕達の日常って珍しいものみたいですね。 がんになり、死というものを一気に身近に感じ、血液検査や画像診断に一喜一憂して、抗がん剤治療で副作用にも苦しみながら仕事して、それを支える家族がいて、こどもがいる。 我が家で言うと、長女(9歳)の場合なんとなく記憶の中に、元気なパパがいたけど、いつの間にかだっこしてもらえなくなったり、去年まで行っていたプールや川遊びに今年は一度も行けなかったり。 長男(1歳半)の場合産まれた時からパパはがん患者。一応元気そうだけど、がんではないパパを一生知ることはない。 確かに一般的では無いかも....。 今まで親目線で見ていたものが、今回の取材を通して子ども目線で考える良いきっかけにもなりました。 えほんを読むことで、子どもがどのようにがんのことや、今の家族について考えているかを改めて話す機会にもなり、取材を引き受けて良かったと、個人的には思えるようになりました。 また、長女は小学校3年生なので、同級生や同じ小学校の生徒や親御さんがたまたま観ることも想定されます。様々なリスクを考えれば匿名や顔を出さないという選択肢もありましたが、視聴者になるべくリアルな日常として伝えたいので、とりあえずフルオープンで取材を受けることにしました。 キャンサーペアレンツのこと、えほんプロジェクトのこと、がん患者の家族や日常のこと。観た人がどんなことでもいいので何か感じてもらえたら、改めて引き受けて良かったなと素直に思える気がします。 ついつい長くなってしまいましたが、キャンサーペアレンツのえほんプロジェクトが第2弾、第3弾・・・・と続いていくことをこれからも応援します。 ※最後に、えほんを購入される方のなかで、宣伝やPR活動等で何冊か買いたい!という方は、ぜひえほんプロジェクトメンバーかキャンサーペアレンツ事務局にお声掛け下さい! 10冊以上で大人買いされる場合にはAmazonで購入するよりもいくつかの特典があるみたいですよ。
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花木裕介(46)
千葉県 / 中咽頭がん / ステージ4日記
がんチャレンジャーたちとの出会い。
ブログ記事『がんチャレンジャーたちとの出会い。』を書きました。よろしければご一読ください。 https://ameblo.jp/hanaki-yuusuke/entry-12416847169.html (以下、本文転載) こんにちは、がんチャレンジャーの花木裕介です。 昨日は、がんに罹患した同志の方々とお会いする機会に恵まれました。 以前もかかりつけの病院のがんサロンに行ったことがありますが、今回は比較的年齢や境遇(皆さん、お子様をお持ちであることなど)も近い方が多く、とても安心感のあるムードでお話をさせていただくことができました。 何よりも印象的だったのが、皆さんお一人おひとりが夢や目標を持って今を生きているということ。 そして、笑顔が絶えないということ。 もちろん、罹患していない方と比較して、と言いたいのではありませんよ。 ただ、僕自身も感じたことですが、実際に命が有限であることを目の前に突きつけられ、それを受け入れてなお前を向いて生きるということで、自ずとやりたいことや日々に対して真摯に一所懸命になれるんじゃないかな、と思うわけですね。 僕が、世の中に広めていきたい「がんチャレンジャー」という言葉には、「がんという病気そのものにチャレンジする」という意味の他に、「がんに罹患しながらも、自分の可能性にチャレンジする」という意味も込めていますが、すでにそのようなマインドをお持ちの方がこれほどまでにたくさんいらっしゃるという事実に、とても勇気づけられました。 僕も負けていられませんね。 ◆ この11月で、がん宣告からちょうど1年になります。 当時の記憶は、なんだか白黒の味気ない写真のような印象でしか残っていません。 でも、今はちゃんとカラーで物事が見えています。 それも、これまで以上に鮮明に。 空も、雲も、太陽も、木々も、そして鳥たちも。あらゆるものが鮮明に、みずみずしく僕の目に飛び込んできます(時に落ち込むこともありますけど……)。 見えている景色は同じでも、そのときそのときの感じ方次第で色彩は大きく変わってくるんですよね。 そんな新鮮な気持ちを忘れることなく、これからも日々を大切に、そして小さくともコツコツとチャレンジを続けていきたいと思います。 一人でも多くのがん罹患者の方に、「がんチャレンジャーです!」と名乗ってもらえる日が来ることを祈りながら。 皆さん、昨日は本当にお疲れ様でした、ありがとうございました。 (了)
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LEO(61)
東京都 / 乳がん / ステージ3日記
NHK-BS番組収録
ご無沙汰の投稿ですm(__)m 11月4日の土曜日、CPから14名の参加で『がんを生きる新常識2』という番組の収録があった。 NHKのスタジオに入るのは、もうん十年ぶり。 以前、仕事の時は車だったから、渋谷の駅から西玄関までがあんなに遠かったのかとビックリΣ(゚Д゚) 裏方の仕事長かったんで、こういう現場にくるとワクワク(⌒∇⌒) カメラや照明、カンペとかそっちのほうが気になってしまうw 6名の医師に5名のゲスト。MCは坂上忍さんと高橋真麻さん。 私的には番組は作る側で、出るもんじゃないんだけど、今回は色々言いたいこともあるので参加した。 そうはいってもやっぱり一般参加者の発言権はあまりないわけです。(笑) 主に6名のがんになったドクターのストーリーを軸に7つのテーマで進められた。 テーマは 1、一流の患者力を身につける 2、納得して治療法を選ぶ 3、「検査=安心』ではない 4、夢と目標で乗り越える 5、笑って がんを生きる 6、緩和ケア新時代 7、がんでも働ける社会に! 当事者の方と言っても医師という社会的立場もある方たちなので、がんでも働ける社会と言っても現実味はないのかな? 私はがんのおかげで離婚ができ、シングルマザーになったから、がん手術後には専業母から働くことになった。 子供も小さかったし、家を空けるのも嫌だったんでフリーランスでWEBを始めた。 まだクリエータもあまりいなくてITバブルの波も来ていてかなり恵まれたギャラや仕事で働くことができたけど。 今はキャンサバに限らず、就労自体が難しい時代。 医者ががんになりました、さぁ仕事はどうしましょうって言ってもそのまま続けられるし、職を失うって不安はないんではないか?! 番組作り手はキャンサバ当事者ではないので、やっぱり温度差があるよね~なんて収録語にちょっとした不満を話し合った。 ゲストの黒沢年男さんは4回がんになり8回手術をしたというけど、残念ながら3回がんになり7回手術をした私は負けてしまった(笑) 黒沢さんも希林さんも私と近い考えなんで、すごく共感できるけど、がんになりたての人にはポジティブになることは難しいかもしれない。 番組の方向としては、ポジティブ!ポジティブ!って感じだったから、もしかしたら見ていてつらい人もいるのかもしれない。 せっかくの3時間番組。 もっと当事者の話を、現実を知ってもらいたいかな~と思った。 私はキャラ的にもネガティブにはなれないんで、寧ろがんでネタはいっぱいあるくらいだからその手の話は個人的にも人前でも話すけど、やっぱりそういう話も聞けないくらい闇の中にいる人もいたね。 ネット配信などもできる時代だから、大手が作る番組だけじゃなく当事者が語るものも注目していきたい。 放送は12月8日夜、NHK-BSです。 こんなSNSバリバリの時代だっていうのに、スタジオ内はかなりゆる~くて撮影もOK。
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ゆうた(42)
東京都 / 大腸がん / ステージ2日記
忘れないうちに。NHK。
キャンサーペアレンツ会員の一人として、NHKのテレビ番組収録に呼んで頂きました! 放送は12/8土曜日、21時、NHKのBSプレミアムにて、なんと3時間の超特大番組。 『がんを生きる新常識2』司会は坂上忍さんと高橋真麻さん。 キャンサーペアレンツ会員はぐっちさん含め14人。がん罹患経験ある医師が6人、芸能人が5人。 人生初のテレビ収録、人生初のNHK。昨日からずっと緊張していました。 自宅からNHK最寄り駅(原宿駅)までの動線は確認していましたが、まさか原宿駅からNHKまでが あんなに遠いとは…しかも途中、代々木公園内で開催されているお祭りをNHKの敷地内と勘違いして 結果集合時間に遅刻するという大失態…ぐっちさん本当にすいませんでした。 初めて入ったNHKは、年季の入った病院のような雰囲気。全体的に古く、ちょっと薄暗く、 天井はちょっと低めで、受付も控室もシンプルな感じ。トイレもタイル張りで色気無い感じ。 TV局と聞いてイメージする派手な感じとは全く違い、且つ行き慣れた病院の雰囲気に近いことに、 ちょっとした親近感を覚える。 スタジオは、逆にとても広々としていて、天井も高い。空調も効いていて、寒いくらい。 たくさんの大人が撮影を見守る。20人くらいはいたかな。いわゆるマネージャーさんや 出演者のご家族っぽい方々もいた。大道具の方だろう、大工さんみたいなニッカポッカを はいた若い男性もいて、不思議な空間。部屋自体は薄暗いのに、撮影されるこちら側は 眩しいくらいのライトを浴び、セットもとても精巧に作られていて、まさにテレビ。 収録が始まると、ディレクターのカンペを基に坂上さん、高橋さんが とてもスムーズに話を引き出し、紡ぎ、VTRの感想を述べ、進行を進めていく。最初は わけもなく緊張していた僕も、次第に雰囲気に慣れてきた。見慣れているテレビを、 超間近で見ているような感覚。 緊張しながら、楽しみながら、あっというまの時間でした。 個人的には、言いたいことを差し込んだつもりですが、使ってもらえるかな? ワクワクしながら放送日を待とうと思います。
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にーやん(43)
大阪府 / 胆管がん / ステージ4日記
不安→痛み→鎮痛剤
二日前、主治医から今後の見通しについてお話がありました。 もう、長くはないとのことでした。 具体的な期間は言えないのでしょう。 私からの、年を越せるかという質問に対しても、わからないとの答えでした。 私はそのとき勝手に、まあ、年内くらいはもつかと、少なくとも11月中は動ける状態かなと、思いました。 こうして書くと淡々ですが、すでに、この気持ちの整理ついても、頭では言葉としては理解しても、心は理解できないようで、その日は寝た気がしませんでした。子のこと、親のことを思っては涙が滲みました。 夏ごろから黄疸治療の連続で満足に抗がん剤を続けていなかったので、これまでの経過から考えて、腫瘍が大きくなっているだろうこと、概ね年内の余命が妥当であることは想定してました。(この想定が腫瘍を大きくするんだというような批判に近い思いをされるかたも要るかもしれませんが、心のバランスをどうにかとっているんだと、肯定的に感じてもらえるとうれしいです。) 頭と心は別物ですね。いくら想定の範囲であっても第三者に改めて告げられると、受け入れは困難でした。主治医の話を聞きながら36歳の男がポロポロと涙をながし、鼻をすすってました。 そして、今朝、夜は比較的良く寝れたのですが、4時に目が覚めました。 暑かったのか背に汗をかいてパジャマが湿ってました。不快でした。 パジャマを着替えて横になりました。何故か不快が消えません。 寒気というか、不快というか、不安…。 胸の辺りがゾワゾワするという不安でした。説明できない気持ちです。一言でいうと、怖さが近いです。 何が?なんで? 怖さの対象が思い付きません。余命宣告を受けたときの絶望とは別の、もっと迫るような近い感じのなにかです。 今、自分は精神的に不安定になっているのだと分析しました。こういうときに安定剤を飲むのだろうと。 なんとか、気持ちを整理しないと壊れそうな気がしました。 そうだ、これは死が迫っているということに対する不安だと、恐怖だと決めました。 今、自分は心が乱れていて不安だ。ゆるやかな、未来に対する不安ではなく、すぐそこに迫った死に対する怖さだと。 目が覚めてからどれくらい時間がたったか解りませんが、背と腹に痛みが生じてきました。もちろんまだ恐怖も残っています。でも、痛みが強まるにつれて、不安は苦痛に変わったように思います。 胸のゾワゾワが消え、代わりに胸の痛みが強まりました。 いつもなら6時に鎮痛剤を定期服用するのでそれまでは少しなら我慢するところですが、今朝の痛みはいつもより強いものだったため、看護師さんを呼んでレスキューのオキノームを貰いました。 薬が効き、痛みは和らぎました。苦痛から解放され、その前に感じていた不安も和らぎました。「怖い怖い」と言って少し泣きました。 この出来事を、心の整理をしようと、 日記を書き始めました。 今朝はじめて、言葉にできない「恐怖」を感じました。 もしかしたら、わたしに残された時間はもっと短いかもしれません。やりたいことの前倒しを検討します。
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Nino(55)
千葉県 / 大腸がん / ステージ4日記
納車
人生最後の無駄遣いじゃァ〜!とこじ付けて、でっかいオモチャを買いました。 12月の家族旅行に向けてさっそく慣らし運転…今日は軽く150キロ。明日は、どこ行くか?
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べに(61)
北海道 / 大腸がん / ステージ4日記
ストマー
ストマーになり 来年の2月で4年目。 造設した頃 直視もできなく、パウチ交換も 看護師さんに おまかせ状態…(・・;) ウンチの匂いと、癌臭が鼻に付き、排便の度に情けないな〜…(T-T) 手術後の抜糸の時 ストマーに黒い膜が貼りついてて おぞましい気分になり 何ですか?この梅干の腐ったのは⁇ 叫びましたね〜(^^) イヤ〜、コレは立派なストマーです‼︎ イヤ〜、本当に立派だ。素晴らしい‼︎ ステキなストマーができました! (・・;) (・・;)理解できなく 終始 無言。 排便、 便器を汚さないように、ペーパーを敷いて、 ゴム手を履き パウチの袋を絞りながら中のウンチを出し、 袋の出口のウンチを拭くのに 何回もペーパーを楕円に丸め ウンチを拭き取るのに苦労したなぁ〜。 パウチ交換 袋を外すと…(・・;) 病室の周囲に便臭がモア〜ッと拡がり 他の患者さんに申し訳なかったなぁ〜。 排便とパウチ交換が重なると1時間以上 時間が潰れてた…(・・;) 排便だけでも30分 家族との外出の時はタイミング良くウンチが溜まり、 さぁ〜行こうかぁ…(・・;) チョッと待って…、(・・;)ウンチ捨てる…。 出先で 食事が終わり さぁ〜帰ろうか〜… チョッと待って…、(・・;)ウンチ捨てる…。 保育園の運動会、 小学校の参観日…(・・;) どんなに急いでも30分近くの空白…(・・;) 自分自身…ストマーが嫌になったなぁ〜。 時間が経つにつれ ストマー交換に10分、排便に5、6分 いつのまにか 時短になって ストマーが苦に ならなくなってた(^^) 今になってステキなストマーの意味がわかってきました。 ヘルニアになる事もなく、 術後の不調、不具合で再手術になる事もなく、 今では、愛しの梅干ちゃん。 4年近くなると、 匂い対策、漏れ対策、水便対策、ケアーの プロフェッショナルになってるし(^^) キミが(ストマー)無かったら、僕は生きては来れなかったのだから。 これからも 末永く ヨロシク。 先生 立派なストマーを ありがとうございます。
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にーやん(43)
大阪府 / 胆管がん / ステージ4日記
主治医からの家族同伴でのお話 2
昨日の朝、主治医から金曜の夕方にご家族さんと一緒にお話を聞いてもらいますと告げられました。 悪い話しかないと思い、涙がでました。 そして今朝、明るい話題である可能性を見いだしたわけではありませんが、妙にというか、落ち着いています。 悪い話だったら、やはりそうかと諦め、悪くない話だったら、なんだそんなことかと安堵するでしょう。 がんの治療に集中した生活をするのではなく、治療中やその先に出来ること、やりたいことなど、希望をもつと、治療一辺倒の暮らしが変わり、気持ちも体も楽になる。ということを聞いたり、見たりします。 でも、抱いた未来の希望にたどり着けるかいなか、そこが大きな不安材料です。 余命であったり、見通せるほどの目標地点であったり、マイナスかもしれませんが、自分なりのゴールを決めて、限られた時間のなかでやりたいことを叶えていく。 ゴールが近づいたとき、なんとかやりきれたと安堵して床にふせったとしても、達成感を持てると思います。 まだ先が見通せる状態なら、告げられた余命を越えて、ゴールを先伸ばしにすることもできると思います。 何を言われるか、考えれば不安です。なるべく考えないようにしてます。 でも、ふと頭によぎったのは先ほどの考えで、そんな風な心構えで明日の面談に望みたいと思います。
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ヨネスケ(47)
福岡県 / 胃がん / ステージ3日記
本日の抗がん剤
受けれませんでした 白血球の数値が正常以下な為 セカンドオピニオンも控えてるしって事で 今日の抗がん剤は無し! やったぁー! って思う反面 大丈夫なのか? って気持ちもあります 今は3クール1休薬のスパンで治療してますが 胃を全摘してから 白血球減少が度々あり 抗がん剤を受けれない事もあります まぁ…不安になっても 受けれないもんは仕方ないので 長男の受験と英検サポートを全力でやります! 長男 残念だろうなww 抗がん剤治療後 弱って 説教も出来ないから 今回は 元気ハツラツで 説教しまくってやる! 説教後のフォローは 全て旦那がしてくれるので 本当にチームプレー的な感じで まとまってます 私が病気しなければ 全て私任せだっただろうなぁww 今日も残りわずか 元気に笑顔で一日を終わるぞ〜〜!
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花木裕介(46)
千葉県 / 中咽頭がん / ステージ4日記
1回目の経過観察の結果が出ました。
ブログ記事『1回目の経過観察の結果が出ました。』を書きました。よろしければご一読ください。 https://ameblo.jp/hanaki-yuusuke/entry-12415748408.html (以下、本文転載) こんにちは、がんチャレンジャーの花木裕介です。 今日、休職明け最初の経過観察が終わり、先々週の検査の結果、現時点で、再発・転移はありませんでした。 昨日もよく眠れ、「何かあったときにはそのとき考えよう」と開き直って診察に臨みましたが、主治医からも、「回復も順調みたいですね」とうれしい言葉をいただきました。 次回の検査は、来年の1月なので、これでなんとか無事に年は越せそうです。 昨年は、年末年始を入院して過ごしましたからねー。それを考えればありがたい限り。 お昼は、付き添ってくれた妻と、子連れではなかなか行けない(危なっかしいので)焼き肉に行ってきましたー。 最初の2年間は3ヶ月に1度、その後は5年後まで年に1度の経過観察が待っているので、あと10回このようなドキドキが続きますが、あまり深く考えすぎずに、一日一日に感謝をしながら過ごしていきたいですね。 皆様、いつも応援いただき、ありがとうございます! (了)
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にーやん(43)
大阪府 / 胆管がん / ステージ4日記
主治医からの家族同伴でのお話
去年の10月からGC療法はじめて、8月に打ち止め。 9月からs-1の服用を開始しましたが、黄疸の連発によりなかなか1クール飲めず。 昨日、CTとりました。 主治医からの簡単なお話では腫瘍が大きくなっているとのこと。 明後日の金曜日、家族を交えてのお話があるそうです。 超不安。 痛いときやしんどいとき、まさに昨夜もこんなに辛いならいっそ……。 などと思ってましたが、 いよいよ、人生の終焉に向けて、具体的に告げられるのではないかと想うと、涙が込み上げてきました。 やっぱり死にたくないんですね。 想像してるだけです、まだ先生のお話がどういうものか不明です。 検討違いだといいなと、願ってみたり、 緩和に移るなら、家の近くのどの病院が良いかなと調べたり、してます。 胆管がんだもの、標準治療は少ないんです。 手詰まりも早い。 ジェムザールの単剤投与の提案とかそういうのだといいな。 さて、どうなることやら、どうしたものやら。
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まちゃる(55)
新潟県 / 大腸がん / ステージ1日記
近況報告
先日仕事中って言っても、あと少しで終わりだったのですが、急な腹痛になり仕事仲間にバレないようにしながら片付けをしてたのですが、その後嘔吐したりして散々な日がありました。その時にこのサイトで知り合った人に話をして励まされ、元気が出たのを覚えてます。その方にはあまり無理をしないで身体をいたわってくださいとか言われた事に対する返事を本日はここに載せますね。 内容は、◯◯◯◯さんメッセージありがとうございます。自分は家族や仲間や職場では、いわゆる体育会系の男で知れているのですが、やはり病気で弱っていく姿を見られたくないってのもあってどうしても無理してしまいます。そう言っても74kgあった体重も今では54kgなんですけど。バレバレ^ - ^ あと自分の中で決めてることがあって、お迎えが来るまでは自分の生きた証を残したいって思ってます。って言ってもそんな大げさなことではないのですが、何でもいいので周りの人の記憶に残れたら嬉しいです。あの時あいつはこうだったよなぁ〜とかお父さんはいつも学校行事には必ず顔だしてくれたよなぁ〜とか、あいつは仕事できない奴だったけど、最後まで諦めずに頑張ってたよなぁ〜なんて感じで!そう考えると、あと数年か数ヶ月かはわかりませんが、病気に自分が負けたと思ったらそこでゲームオーバーだと思うので最後の最後まで弱音を出さない自分でありたいと思います。周りの同世代の男性を見たりすると何で俺はあと少しでこの世から消えないといけないのかとか、俺が何したんだ!とか、少し前までは思ってましたし今も夜に1人でいると震えてくるくらいの恐怖があります。でもそんな姿は見られたくないので空元気でもいいので頑張っちゃいます。 でも、◯◯◯◯さんの言うとおり無理はダメですよね。周りに迷惑をかけてしまうので。でも、話を聞いてもらえてスッキリしました。ありがとうございます。 長くなりましたが、皆さんの中でも自分と同じように無理して仕事されてる方がいると思うのですが、◯◯◯◯さんのメッセージではないですが、無理をせず身体をいたわって下さいね。 皆さんと一緒に頑張りましょう!
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にーやん(43)
大阪府 / 胆管がん / ステージ4日記
祈りの癒し効果(実体験)
昨日の夕方、病院の廊下の広いガラス窓から見上げたら、 青空と夕焼けの明るいコントラストがとてもきれいでした。 雲の下が桃色にうっすら染まって、ゆっくりと流れてました。 遠くの空に、しばらくすると沈むであろう太陽が、雲に少し隠れながら、まばゆい明かりを放ってました。 眩しいけれど見つめていたい、そんな光でした。 おもわず、両手を合わせて、目を瞑ってました。 助けてください。 空はとってもきれいなのに 不安とも恨みとも悲しみとも、そういうものが頭のなかで、ぐるぐると混ぜ合わされたような 決して爽やかでない祈りでした。 手を合わせてることが恥ずかしくなったので、時間的にはほんの数秒でしたが、 目を開けると、雲は少し流れて、相変わらずきれいでした。 すこし、ほっとして、 癒されたような気がしました。
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Nino(55)
千葉県 / 大腸がん / ステージ4日記
味覚異常
感覚異常(痺れ)の延長線上か、食べ物の味がよく分からなくなってきた。出来るだけ分かりやすい味のものを食べるようにしてるけど、6クール目の抗がん剤投与が済んだ昨日あたりから、特に酷くなってて、砂を噛んでいるような味気なさが何を食べても… 食べ物に特にこだわりなんてなかったはずなのに、結構嫌なもんで、何だか食事が苦痛になってしまう。栄養摂取しなきゃならんのに。 まったく、ままならん。腫瘍マーカーは順調に下がってるのでその代償と考えれば、十分すぎるくらい抗がん剤の恩恵は享受しているはずなのにね。 我ながら、勝手なもんだ。
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にーやん(43)
大阪府 / 胆管がん / ステージ4日記
ネガティブ思考。私は心が弱い。
今日の日記はとても暗くネガティブです。 後ろ向きな内容なのでご注意願います。 ブログとかこういう日記を読んでると、ネガティブな書き込みって私、あまり見かけません。 月曜に入院してから病状事態は退院に向かっているものの、がん、そのものの状態は不明で、お腹が張ったりして苦しくなる、先週までなかった痛を感じる機会が増えたりし、とてもネガティブな心境になっています。 みなさん強いな、って思ってみたり、いや、そこはあえて見せてないだけだろうと勘ぐってみたり、思いを巡らせるのですが、 ありますよね。(同意を得たい) 痛みに耐えて生きていくのが不安になったり、絶望したり、死期が近づくにつれて生じるであろう苦痛に対してすごく怖いと感じたり。 一人でベッドにいる時間があまりに長いせいか、生きる意味を見失いそうになったり、棄てそうになったりしています。 私だけが弱いのかもしれません、怖がりで、痛がりで、すこし辛いとすぐに根を上げたくなります。 一人なので静かにしてますが。 我慢できなくなってオキノームを処方してもらいますが。 病状は人それぞれなので、私の進行が早いのかもしれません。 私は精神的に弱くて、我慢が足りないのかもしれません。 こんなことを吐露して、少しでも共感を得たいと、甘えているのです。 でも、 どこかで乗り越えたいです。 それはおそらく精神的な面で。もう一度、生きたい、生きよう、少しでも長く。子どもたちの笑顔の思い出にに少しでも残ろうと、そんなふうに強く思える日が来ると、来てほしいと、、、 今夜は願うばかりです。